2018年

1月

16日

バイバイ



いつも感じてる。
いつも思ってる。

2016年

10月

17日

花火




また来年も見たいな。

なんだか感覚的に、大好きな土地ができた。




2016年

4月

07日

高校生の私

高校生の時、こんなことを言ったらしい。

京都の美容室カナットのブログより。
友達が書いたもの。

2016年

1月

11日

絵を描くためのエネルギー

最近は絵を描くために


極力無駄なエネルギーを使わないようにしてる


それから余計なストレスや心配を極力排除しようとしてる


それじゃないと毎日描けない




心ない人やお金の事だけを考える人や



無神経な人や愛のない人や誠意のない人は



いつもだったら流せるところを



気が張っていて精神が尖っていて心が敏感で、感じてしまい過ぎて、不安定になるから



全部避けようとしている。




自分の世界を守っている




今、山を登っている



高い高い山。



楽しいかと聞かれたら楽しいとかじゃないと言う。



幸せ?と聞かれたら、普通の女性の幸せが欲しいなと言う。



けれど



頂上からの景色を見たくて。



それを見るために登り続けている



前に前に一歩一歩。




何にも変えられない忘れられない景色と、それを越えるだろうまだ見ぬ景色がどうしても見たいから。




その景色がきっと私に生きる意義と喜びをくれるから。





私の目や皮膚や感覚や心が




あなたであるように。










2015年

9月

10日

wonder



最近は本当に目が回るほど。
個展の新作と、準備と、打ち合わせと、依頼の仕事と。
考えることとやることばかり。



たまに精神的にきちゃったりもするんだけど、




やっぱり幸せだ。





新作2点目に突入。






ワンダーって言葉が頭でぐるぐる言い出した。





アートって、人生捨てたもんじゃないよねって瞬間をくれる。




作品見て、わぉー!
すごいー!!



ってなってくれたら、本望。




目の前のキラキラ、私の絵、




ワンダーだ。













2015年

7月

29日

peace around the world


今まで好きだったミュージシャンと

最近好きになったダンサーと


私がずっと思い描いてたアートを通してすべきこと


がやっと重なった。

同じ思いだということに気がついた。

だから好きなんだと気がついた。

それは私の根本に重要にしたいことであった。




平和の上にしかアートは成り立たない。


アートは平和の象徴です。


もっと思い強くぶつかって行こう




優しい心。人と人を繋ぐ絵。




だから世界と戦いたいのね。







2015年

7月

29日



全ては愛。愛されたいし、愛せる人でいたい。

2015年

7月

29日

絵を



 好きとか嫌いとかじゃない全てですね。

2015年

4月

28日

遅めの豊かな春


2015年

4月

19日

teamC

2016年3月から5月に開催する
サントミューゼ上田市立美術館での越ちひろ展


昨日は学芸員瀬川さんと共催SBCテレビの関さん、展覧会にむけて映像や写真撮って下さってる西片さん、の家で、
グラマラスでのメンバーチームグラマラスが、展覧会にむけてteamCとして結成。



みなさん、ありがとう。
良い展覧会にします。
よろしくお願いします。




2015年

4月

06日

ありがとう




いつも変わらずにいてくれて



本当にありがとう



と思った。





2015年

4月

05日






春には春みたいな絵を

そんな壁画になった



今日は光の中心を触ってきた


2015年

2月

20日

なくても




なくてもいい。

でもあるとないじゃ全然、全然、全然、違う。
というものをつくる。


ちょっと違うよね、じゃ終わらせない。




絶対。
いつも。






そしていつの間にか
私に巻き込まれて


君は抜け出せなくなるのだ。





2015年

1月

31日

カケラ




才能なんてこれっぽっちもない




あるのは描き続けてきた中で




少しずつ積み上がってきた




星屑みたいな砂みたいなカケラみたいなもの







2015年

1月

31日




私ってどうしてこうも不安定な人間なんだろう


心配性で怖がりで
緊張しいで



良く言ったら繊細
悪く言ったら上の言葉通り




だから、精一杯自信をもって
立っていられるように
絵を描き続けて
嘘なく私が凛々しく立てるように
向き合うのだと思います



本当は弱いのね

だから

強くいたいと必死なんだな。










2015年

1月

30日

阿修羅のジュエリー





最近は、気分転換、インプットの時間を多く取り入れて、ゆっくりアウトプットしてる。


絵を描いて寝る前に時間がある時は
本を読む。


今日からはこれ。


阿修羅ってすごくカラフルな極彩色だったんだって。
そのジュエリーについて。
ジュエリーは、いのちといのりの装飾であり輝く光。
この本に
人間には輝く光を想像し表現する力がある。
というようなことが書いてある。



私は光を描いてる。
とある時に、妹に言われて気がついた。


そして、神々は暗い色たちの世界でなく、
極彩色の世界にいるんだってことは
描いてきたこと
描いていくことが
すっと繋がっていく。



宇宙の波長とあうようになってくると
出会う物事が
シンクロしてくるね






2015年

1月

24日

匂い



いい匂い



優しい匂い



記憶の中で匂いが優しく愛しくなる



いつまで続くかな

2015年

1月

24日

続けること



描き続けること。



続けるって、
才能でもなんでもない。




続けるって、その人の強い力。精神力。


本気じゃないとできない。


好きじゃないとできない。


好きになれないとできない。


覚悟がないとできない。



何かを犠牲にしても進まないといけない。




でも続けてるからこそ見えてくる輝く世界を知ってるんだよね。



命の輝き。













2015年

1月

06日

自由






nuki集団新年会@そば八
3つ目くらいの壁画場所。


nuki集団は、建築家、レザーデザイナー、料理人、画家、写真家、インテリアデザイナー、DJなどの集まった集団。
とは言っても、自然に集まった仲間たちで、みんなで1つになってなんかできちゃうよね、って話。



昨日は思いがけずの仲間の言葉に涙した。


ありがとう。





今年のテーマは"自由""freedom"



いつだって、どんな時も



私たちは、自由だよ。




進みたいように進める。






2015年

1月

02日

strawberry




ストロベリーって1年に1回くらいしか食べない



でもかわいいから好き









2015年

1月

02日

Happy New Year 2015




あけましておめでとうございます。




変化し挑戦し

自分にとって予測できないほどの

ステップアップした年に

今年もなればいいなと思います




そしてもう一つ

今年は絶対のものがあるんです

それは秘密。






2014年

12月

25日

クリスマス



今年のクリスマスには
大きな壁画の仕事の打ち合わせをもらった。


頑張ってきたご褒美。



でもサンタクロースはこなかった。



プレゼントは自分で掴みにいった。









2014年

12月

20日

2014年




私にとって2014年は、振り返れば今までやってきたことが安定した年だったかもな。


その安定が、"安定"しないように
質を高めた。


質を高めるために行動した。


誰にも真似できないところまで
登ろうと決めた。
それは地位や名誉でなく
絵が。


それは私らしく、私のやり方で、
という個の話。
一つのアートの形として。



来年は、その質が花開いて、もう一歩二歩、三歩と進めそう。



大きな仕事は、2月インドの壁画から始まり、12月東京の壁画で終わりをしめた。



安定は、してきたことを
言葉にしてもくれた。
ゼロだったこと、やっと自信を持って、はっきり言えるようになってきた。



越ちひろという、たった1つのアートの形。










2014年

12月

17日

期待





良くも悪くも、人に期待しなくなった。
過度な期待を。

見返りを求める心を捨てた。

そうしたら楽になった。


絵を描いてると、形のないゼロから
1人で完成させることが当たり前で

どうも人に何かをお願いしてやってもらうのが苦手。

ある時期から私は何のせいにもしなくなった

人のせいにも
社会のせいにも
環境のせいにも


今起こってる物事は
全部私のせい
と思うようになった。



昔よりも質のいいものを出すプライドが増して
今が1番でいたいから、挑戦していくと
益々時間がかかるようになってきた壁画。


闘うものは己だと。






チラナイサクラ/御徒町 らーめん横丁
チラナイサクラ/御徒町 らーめん横丁

2014年

10月

06日

deadlock



行き詰まりって
いつの時もある


続けていれば
何度もある


良いも悪いも
必ずある


私に出来ることは


愛をもって描くこと。
今、目の前の絵を1番良くしようとすること。



愛をもって描くことが
できないなら
描かない。








2014年

10月

05日

春にむけて



花が咲く春にむけて
私はこれから秋の紅葉が落ち、
冬の季節の到来と共に
土の中で
花が咲く準備をする



それは
長い冬にぐっと耐える
精神力と向かう時なのだと思う




春に大きな2つのことを
発表できるように
土の中で
できる限りのことをする


絶対にそういう春を迎える










余白は空間で
私は世界に花を生けるように
絵を描いている





どんなところも世界はキャンバスなんだ。





2014年

10月

04日

good kiss good night




見返りを求めずに
自分から愛を与える人になりたい。



そういう深さがある人になりたい。



今日からは
人と比べることを
昨日より
しない自分になる。



今日からは
愚痴や陰口を
昨日より
吐かない自分にする。





good kiss good night 

2014年

10月

01日

ご報告







この度、皆様のお陰をもちまして、10月1日より株式会社アプレと一部の活動を業務提携することとなりました。
今後、益々仕事の幅を広げ、活動していきたいと思っております。
引き続き、今と変わらぬご愛顧のほどよろしくお願い致します。






平成26年10月吉日
越  ちひろ

2014年

6月

20日

colors

2014年

6月

11日

成長





日々、人が予測できないほどの成長が
できる人って



苦労できる人
努力できる人
継続できる人
次を見据える人
そのための行動ができる人



好きなことをしてる人
あるいは
何かのために闘う人





だと思う。

2014年

6月

08日

祇園祭での制作お手伝いのお願い






7月13日(日)の長野祇園祭にて、10時から14時まで行う、大きなプロジェクトの企画手伝いを任されました。



アゲイン前あたりから善光寺に向かい、片道道路、約50mから100mを使い、15色のカラーチョーク(600本以上を用意予定)を使って、お祭り来場者子供たちと参加型の1日限りの巨大な長い作品を、道路にチョークで描き制作します。テーマは私の街長野(仮タイトル)です。



たくさんの木々に囲まれた絵にしたいなと思っています。
当日は、テレビ局などの取材や、制作状況、作品を、上から写真や映像で記録を考えています。



しかし、作品がかなり巨大なため、10時からは各範囲の見本となる制作を、ある程度人が行き来し始めたら、子供たちを誘導し、子供たち、私と一緒に制作してもらえないでしょうか。



私が今まで出会わせてもらった高校生、専門学生、予備校生、大学生などに声をかけさせてもらってます。私と直接面識ないけれど協力してくれる!なんて人も大歓迎です。


私1人の力では創れない素晴らしいものを、みんなと一緒に創れたらとても嬉しく思います。よい絵を一緒に描きましょう!!

おまけ:一緒に絵を描くと言葉を交わすより仲良くなれます。



協力してくれる方いたら、このホームページコンタクトから連絡下さい。


よろしくお願いします。


................................
ながの祇園祭
7/13(日)10:00-14:00
(9:30くらいにアゲインあたりに集合してもらえると助かります)
15:00くらいには作品を水で流します。
場所:アゲイン前道路 片道50mから100m








2014年

6月

05日






覚悟を決めた目がある。






そういう目が好き。









何もかもを破壊するような
鋭い野性的な
そして純粋な
瞳。
 




曇りなき
透きとおる
目。















2014年

6月

05日

NY




私が今まで訪れた国や都市で好きな場所ベスト3に入る都市ニューヨーク。



そして、インド、タイ、スペイン。


マレーシア、ベトナムも好き。




国や都市が好きというのは
その国や都市や街をつくる
人々とその文化が好き


ということ。



建築物、料理、カルチャー、ファッション、伝統、笑顔、香り、人。

 


私が好きという時は、
いつもその背景に
人がいる。





NYには
そういう人々との思い出がたくさんある。




ギタリストの吉田次郎さんもその1人。



ホテルの最上階で、
マンハッタンの夜景を見ながら
次郎さんがグランドピアノを弾いてくれた。


観客は私1人。


そしたら、友達になったお医者さんのカールがきて。



カールには、メトロポリタン美術館のアレキサンダーマックィーンの企画展に連れてってもらった。



それがきっかけでマックィーンは、私の偉大なアーティストベスト3に入る人になった。



その時にカールは、VIPで美術館に入れてくれて、美術館の中でもマイクで電話していた。
いったいこの人何者よ。と思っていたら、
これもまた、ニューヨークで仲良くなったノリさんが、
電話で手術の指示を出してるんだよ
と教えてくれた。
そんな世界って!




ニューヨークの小さなギャラリーでグループ展して、
ギャラリーを巡って、
私のポストカードを渡しまくった。





ニューヨークの街は
気を緩めると
何もかもを巻き込んでいく
パワーを持っていた。




だからのみ込まれないように必死だった。




また行きたい。


もっと大きなもの掴みに。













2014年

5月

28日

存在感と求心力



月曜日に長野美術専門学校で、丸一日、特別授業の講師をやらせてもらった。



学生や子供たちとの時間は
私が大切にしている活動の一つ。




いろいろな思いが後から出てきて
それを伝える役目に
反省もあり。





好きだという気持ち
好きだからしているという気持ち
を忘れないこと。




これが大切で。
それを感じてもらうことも大切で。







相澤先生が、改めて越さんの存在感と求心力に感動したと言ってくれた。









学生が作ってくれた!
学生が作ってくれた!

2014年

5月

23日

ダンス



爽やかな風のような
一本の映画を見ているような



ダンスを見た。




彼女は映像の中で、
ダンスでずっと昔からお金をもらってるし、仕事と捉えたことはなくて、
人生そのもの


みたいなことを言っていた。




初めて
彼女のダンスを見た時に
彼女の人生そのもの!!
と思った。





生きることのいろいろが見えた。




自分で口にしたことを
自分のしたいことで
感じさせる人って
魂に近いところで
向き合ってる人だと思う。



















2014年

5月

18日

美しい日





今日は、絵に差し込む日の光があまりにもきれいで、私の絵が森の中みたいになってきて、
私は森の中の木漏れ日の下にいるようで、






筆を走らせながら、
涙が出た。









新緑のシャンデリア。


















まだ途中。
まだ途中。

2014年

5月

17日

音像

音像:
オーディオ装置で音楽等を再生した場合に、楽器や声が、その場所にあたかも姿、形が見えるように再現される、その様子を表す言葉。感覚上の音源。立体音響の再生に利用。

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"音像には、3つの要素を感じる。
色彩、情景、温度だ!君の絵にもね!ちひろ君!
俺のドラムは幸せもんだぜ!"





と、本を出す時に、村上ポンタ秀一ことポンタさんに言葉をもらった。






私も音楽と絵のことって比べたり、重ねたり、よくする。




絵は聴くもの。音楽は観るもの。




って感じが1番するかな。






絵は見ない。
音楽も聞かない。





覗く。
深いところを。







だから、絵は、絵の声を音をきく。
表面の絵の具成り立ちや、描かれた意味や理由だけみてたらつまんない。






音楽は、逆。







それが感じるってことだと思う。








あと、ポンタさんに言われて嬉しかった言葉は、





"貴方の絵は俺の心の深いところに
温かいランプみたいなあかりを灯すんだよね。"






って言葉。


















2014年

5月

15日

運命は切り開くもの


大学時代、付き合っていた彼氏が
未来を夢で見れる人だった。



だから、夢の中で起こったことが現実になる度に抵抗するんだって。
例えば、左の道に行ったから、現実世界では右の道を選択してみる。とか。



でも、その後に見える世界は同じなんだよね。
だから、運命は変わらないよ。


と言われたことがある。







あれから10年。
私は、運命は少しの小さな選択によって変わっていくものだと思えてる。




私が挑戦するいばらの道を今選ぶ。
こちらの方が明るい未来に向かえるって思う努力の道を選ぶ。
大切な人を今、大切にする。
絶対に妥協しない。
鋭い勘を働かせる。
準備をする。
そういう小さな積み重ねが、
私の運命を大きく変えている気がする。





ここ数年は、自分でも驚くほど
素晴らしい出会いや機会が増えてきて、
1年前は全く想像してなかった1年に気がつくと毎年なっていってる。
でもスピードが足りない。




だから加速する。




よりパワーを増して加速していく。
高いところを目指して。



そうやって、自分の運命は自分で切り開く自分になる。














2014年

5月

08日

春には春の香りを





春には春の香りのする絵が描けたとしたら
それは
"感じて生きている"
ということかもしれない。




いつも強がって
寂しくて
寂しがりやで
孤独感に押しつぶされそうで
いつもひとり



そうやって絵とぶつかって




私はその絵から
できるだけたくさんの人たちに
愛と生を捧げることが役割であり役目
だと思っている。





必ず素晴らしい景色をみせる
ってまだ見ぬどこかの誰かまでにも約束する。





けれど、お風呂に入ったりすると
ひとりぽつんと
孤独に押しつぶされそうになる。




私は本当は
強がってる私の背中を押してくれる
たったひとつの愛されることが
ほしいのだと思う。






明日から歌舞伎町で壁画。















2014年

5月

05日

考えたりしないで










What do you say we forget thinking and follow our hearts. 












2014年

5月

05日

好きという全て





今年34歳。
人生の半分以上、絵と生きてる。



人生をかけて、向き合おうと決めた中学3年の時、本格的に向き合い始めた高校1年生。




それからずっと1番に考えてきた。






なぜ進み続けるのか、
趣味にしないのか、
やめないのか、








それは絵を描くことが心から好きだから。








これが全て。









今日、北島康介さんのプロフェッショナルの番組を見た。




300日追いかけた1時間番組の中で




彼は孤独と闘いながら、
水泳を続ける理由を




私は水泳が本当に心から好きなんだ。
と、思えた。



そしたら番組の最後に、
いろいろな複雑な言葉ではなく、



水泳が好きだ。




と一言あった。







好きだという気持ちが1番強いパワーだと思う。





愛にはいろいろなものが溢れる。




言葉にはうまくならないもの。




苦しさにも打ち勝つパワー。






私の絵も、好きなんだというたった一つのその全てが
もし絵に表れているとしたら、




その気持ちは、言葉で吐くよりも強い"好き"なんだと思う。










気がつくと、一枚の絵が終わると、なんでもない日常の隙間に、
次はどう進化すべきかを
どうすれば次にまた上がれるかを
考えている私がいる。



















2014年

5月

04日

何がとどんな




前のブログのまとめ



なにが描いてあるかの
"何が"(表面的なもの)は
誰にでも描けるけれど、



絵の内面から出る、
その絵が放つ印象の深みや輝きや絵の強さ優しさ儚さ醜さ弱さや愛や情熱のような感覚的なものは誰にでも描けるものじゃない。




求めて出るものでないとしても、
それを知る目と感覚を持って求めないとでてこない。





2014年

5月

04日

美しい絵





絵は正直者だから



本当に美しい絵は、心が美しい人にしか描けない。
純粋な絵は、心が純粋な人。
華やかな絵は、華やかな人。
強い絵は、強い人。
儚い絵は、自分を出しきった証拠。命の儚さ。1人の個。


優しい絵は、優しい人。
子供の純粋さをもつ絵は、少年のような人。





何が描いてあるという内容ではなくて、
その絵が放つ印象のこと。
それが絵の内面。



"何が"は誰にでも描けるけれど、
内面から出る輝きは
誰にでも描けるものじゃない。




私は、全部でありたいな。
醜さも抱え、それでも色とりどり、強く優しく儚く、生きている。












2014年

5月

02日

ひとつ






言葉のない絵




絵との対話。




昨日はぶっ通し休憩なしの9時間半。




ずっとお話してるんだね。





今日は春の宇宙ができた。











2014年

5月

01日

ゼロからイチ




孤独感って消えるのかな。




月に4つも5つも産みだすために
ぶつかり続ける




走っている時は
後ろも振り返らずに
もう一歩前にでようと必死に走るから
夢中すぎて
よくわからない



それでいて、休みは嫌い。
怖いから。




長距離マラソンのゴールは
あるのかなぁ





強がってないと立っていられない時があった。
今でもそう。
前よりは少し楽になったのかな。




でもいつも怖い。



でも進む。




いつも苦しさの倍、喜びがくると信じて進む。





絵はつくづく子供みたいなものだと思う。



















2014年

4月

29日

焦がれる




My painting Drums! (Shuichi "Ponta" Murakami's original)





自分が描いたものなのに
憧れにも似た感情がある




どこかで目にすると
心が締め付けられる





半年かけた情熱
とても苦しかった
とても楽しかった。




一つ終わると新しい無の太鼓がまた一つ
目の前に立ちはだかる
14個の太鼓が怖かった





エネルギーを低下させないように
イメージが限界をむかえないように
ぶつかり続けた。





ポンタさんのエネルギーに負けないように
セッションしたんだろうな





またポンタさんのドラムに描きたい。
またいいものできると思うんだ。




今度は深い赤いやつ。
身体を駆け巡る血液がどくどくいってそうなやつ。





















村上ポンタ秀一 オリジナルドラム (Painting /Chihiro Koshi)
村上ポンタ秀一 オリジナルドラム (Painting /Chihiro Koshi)

2014年

4月

23日

小さな友達





私のファンでいてくれたり、私を好きって言ってくれる
私より年下の子達が
3歳くらいから20代まで幅広くいてくれて、




絵を買ってくれたり、
手紙をくれたり、
プレゼントをくれたり
会いにきてくれたりしてくれる。





1度一緒に絵を描けば
言葉はいらない。




1度笑いあえれば
もう仲良し。





美術の道を進む子は私の影響なんかが
絵の中に見えて
なんだか嬉しくなる。





幸せが伝染するみたいに
広がっていくといいな。






大切な譲れない深いものが。
次はあなたからあなたへ。














*そういえば、今思い出したけど、多摩美を出た予備校の教え子が、1人のアーティストについて書く卒業論文に私を選んでくれた。嬉しい。





















2014年

4月

20日

トークショーの場






今年の終わり頃に、個展と合わせて、
アーティストトークの場を考えてます。



2008年に長野に帰ってきて、
2010年にスタートした壁画。
2011年からフリーランスになって、



ようやく自身の言葉がハッキリ明確になってきました。



そしてそれを話さなければいけない時がきた。
とくに学生や絵が好きな若い子たちに、大衆のみなさんに。




そんな風に何故か使命感を感じているのです。






私は役目や役割を感じて強く絵を描いています。






2014年

4月

19日

ピカソの言葉





"1枚の傑作を描くよりも、どういう人物であるか。"




とても大事。




そして今まで見たことないStyleの絵描きになる。





だから批判されっぱなし!





それでよいね。
当たり前。




































2014年

4月

18日

people around the world





2年前から始めた英会話レッスン。
半年くらいやる気を失い、また3月から再開。





今日165回目のレッスン終了。
少しづつだけど、前よりずっと世界が広がった。
そしてもっともっと広げたい。







先生によく、なんで英語を勉強しているの?って聞かれる。


2年前に私が英会話を始めた理由は、


世界に絵が出て行く準備。








でも、まだまだ全然話せない!!







tomorrow とかyesterday とかありますが、一応です笑。
tomorrow とかyesterday とかありますが、一応です笑。

2014年

4月

17日

完成という過程




たまに、途中の絵の方がよかった
って言われる。





でも、自分自身、途中の方がよかったと後悔したことはおそらく、学生時代に数回、
それ以来は、全くない。






どうしてこのことを今日考えているかというと、TVにマザーテレサのこの言葉が流れたから。



"神様はあなたに成功を望んではいません。
あなたが挑戦することを望んでいるのです。"







いくらでもやめることはできた。その時点だってよかった。
でもいつも、もう少し描いてみる。もっとよくなるように。
って思う。
"完成"までは。






挑戦、進む方が怖いのだ。失敗する可能性だってある。
けれど、その時点の"よい絵"、その世界まではもう私は見てきている。
次の世界を見たい。
って思う。







だからその絵が、途中の方がもしもよかったとしても、もう一歩行ってみようと道を開こうと進んでみたことの方がずっと大切。







だってまだまだ描いていくのだから。
縮こまらない。




これが大切。






その一枚にどうぶつかるかが、
未来の全部になる。



































2014年

4月

17日

君の絵じゃだめだね




って言葉を力に今までも今までもやっている。
たまにふと頭を過る言葉。



実際には直接言われたことのない言葉。





そう思われても
描き続ける
訴え続ける
という情熱や根性や涙に変わるような。





そういう言葉。














2014年

4月

16日

料理も絵も味も色も




センスと勘は大事かなと。




きっと全部同じなんだよね。




そういえば美大の仲間には料理の下手な人はいなかったなぁと。
私の親友の創作サラダは絶品だったし、
私もよく創作系の料理は作る。




イメージ、イメージ。
完成のイメージがあるかってことと、
それを
実際にやれるか


っていう2つなんだろうな。




でも、私は絵にだけは、
その自分のイメージを越えるものを
求めていく。






世の中も人も心も簡単には動かないから、
越えないといけない。
自分を越えられたかって問題。






人を驚かせたり動かすものって、そういうもので出来上がってるのだろうなと思う。














今日はアサリとキノコのスープパスタ。
今日はアサリとキノコのスープパスタ。




これを機に言っておきます。
私、料理できなさそうって100%の確率で言われますが、それはなんでだろうか笑。


料理なかなかいけると思います!












2014年

4月

15日

絵と絵の写真



いい絵は写真に収められたその絵がどんなに素敵でも


実際の本物が遥かによい。




いつも私の絵はそうでありたいと
思ってる。






だからいろいろな媒体を使って広めているけれど、

その最後には、



絵の前にただ立ってほしい。




専門的な知識は何にもいらない。
無理にわかろうとしなくても全然大丈夫。








こんな素晴らしい景色もあるのよって
新しい世界を
その時に
見せてあげる。





絶対見せるからって強く思って
向き合ってる。
















そうした時に、目の前のあなたは
好きか嫌いかを
ただ言えばいい。



























2014年

4月

14日

The first day




制作1日目。



3年くらい諦めていた要素が入った日。








最近の自分自身に大きな大きな変化を感じている。






















2014年

4月

14日

lone wolf





昔から何故か私は仲間が安定してくると
1人また違う場所を探して移動する




友達のことではなくて
絵を描く仲間や場所、居場所。
仕事仲間なんかもそうかもしれない。





親友でありライバルである仲間たちのいる東京からも1人離れ、
また長野では、どこか誰とも違う場所にいる気がする。
考えていることも、多分誰とも異なるだろうなとまた最近改めて思う。
東京の絵描き仲間とも全く違う。長野の仲間とも違う。
誰とも違うような気がする。






居心地のよい安定した居場所ができると
怖くなる。




自信があって、無敵で、
みんな同じ方向を向いていて。




その世界がまるで全てに見えてきて
本当が見えなくなりそうで
怖くなる。



動こうとしなくなる自分がいそうで怖くなる。






世界はどんどん変化していく。
そして、いつもその中で挑戦していきたい。





誰に左右されることなく、
私の目で判断しながら。







だから、群れをなさない。って強い言葉より、
群れることができない人間なんだろうなぁ。


















2014年

4月

13日

Rock'n roll




"越さんのライブを見て救われまして。まぁ人生を捨てようとしてたようなものなんですけど。
それ以来、行けるところにはできるだけ行って
あなたの絵を見ようと思ってるんです。"





その人にとって、
私はRock'n rollなんだって。






Rock'n roll!!





















2014年

4月

12日



たまに私のいろいろなものが私色に染まっていて、
自分でドキッとする。



撮った写真とか
集めたシールとか



一つでは何ともないものが
たくさん集まると私色になる



それを見ると嬉しくなる。




絵も、自分も。言葉も。収集したものも、好きなものも、考えも。
表現するもの全部で私なんだって改めて思える。



いつもやりたい放題、ぐちゃぐちゃ、めちゃくちゃで、変わってゆく私、柔軟になる私が、どこかずっと繋がっていることを確認できる瞬間でもある。



一つじゃ言えないことばかり。

 


それでいい。




そうそう、なんで最近マメにブログを更新しているかというと、
携帯からUPできるようになったのです。




どうも私はパソコンの前に座る時間が苦手。







2014年

4月

11日

20分の時間



色は明日に持ち越しと一瞬思ったけれど、最後まで描くことにした。
不安定な時は絵を描くのがいい。
絵のことで不安定なくせに絵を描くのがいい。



たった20分
されど20分。




描いてよかった。




なんだか優しい絵になった。
絵が笑ってた。





明日はまた新しいキャンバスに向かおう。



0時を過ぎて、今日は頑張ったよ私と自分に言う。
おやすみなさい。









2014年

4月

10日

いろいろなかたち




世の中に提出する量が多くなっていくと
人はそれぞれにそれにいろいろなことを言う




越ちひろの絵はもっとこうあるべきだ
依頼作品、仕事作品ばかりで
これは芸術じゃない
商業的
私のもっとこんな絵がみたい
アートとは違う
お金を稼ぐためのツール
わがままな絵がみたい
これは本当の絵じゃない
越ちひろの絵じゃない
ピンクを押していけ
壁画はアートにはなりえない
これは違うんじゃないかな
恋をした絵をみたい
と。







それなりにいろいろ言われると辛い。
でも挫けない強さもあって、譲らない何かがあって、



それはただの頑固なのか。
自分の強さなのか、




自分でもわからない。




自分でもわからないけれど、




進むしかない。




あと何年私は生きるのか。その間にどのくらいのものを世の中に残せるか。質のあるものをできるだけたくさん。パワーを低下せずに、より増して、スピード。スピード。
立ち止まってる時間はない。




まだまだ挑戦、まだまだ一歩、
言いたい人には言わせとけー
と思いながら、なかなかへこんでる私もいて、なんだかこのブログを書きながら笑えてきた。




目の前の画面にただ1人、闘うということは、孤独な対話なんだけれど、
それが繰り返し繰り返し私の前に立ちはだかるのだけれど、
それは私にたくさんの愛をくれる。
苦しさの倍以上。
どこか自分のしてることに強さと芯を持ち、それでいて柔軟に変化していく強さも大切だと思っている。




いろいろなことに私も絵もぶつかる。
それはこの時代に生ある限り当たり前。



そこで、どう進むか。


私にかかってる。



評価は後からついてくる。
もしかしたら大事な意見。
くだらない批判。


今は上手く、身体にバランスで吸収しながら、

それでも私は私の絵と進み挑戦する。




芸術だとかアートだとかこれはデザインだとかファッションだとか、
なんだってどっちだっていい。
私は絵を描くということを人生をかけた仕事に決めた。


そんな枠は越えてたくさんの素晴らしいものを出していきたい。


素晴らしいものとは、自己満足の世界で終わらずに、人を動かすものだと思っている。



そしてはっきり言えることは、
それがなんだとしても、
私は、私の提出する全ての絵に、
私が描いた絵だよと、
自信をもって世の中に出していく。
これからも、今までも、ずっと。





それが私の絵に対する、私の愛なのです。










2014年

4月

09日

アートで世界は変えられる







去年頂いた、ながの未来力大賞。
そのプレゼンで私が言った言葉。






佐蔵の壁画を撮りに来てくれた方が
写真付きのメールをくれた。








"『アートで世界は変えられる私は本気でそう思っている』越さんの言葉をふと思い出しました。"















2014年

3月

20日

私の絵のようなインド。インドのような絵。








今日、現像したフィルム写真が届いた。
すっごく待っていた。



フィルムカメラと一緒に国々を旅するのが好き。
フィルムの偶然性が好き。
柔らかさが好き。



そして、日本で開くこの瞬間が好き。


宝ものみたい。




時間とか瞬間とか偶然や必然や奇跡みたいなものを大切にしまった場所、フィルム。



絵を描くよりも、ずっとリラックスしたスケッチやドローイングみたいな行為。




写真は趣味。




絵は人生。





旅の中で、違う国で、出会った、まだ声も聴いていない人たちが、言葉の違う人たちが、私に笑顔をくれる瞬間が好き。




世界は、人生は、愛と喜びで溢れてる。





その瞬間に、そう思えるから。












2014年

3月

12日

明るい未来


震災から3年。この3年の間に、被災地に行く機会が2度あった。



去年は気仙沼でライブペインティングをやらせてもらって。
仮設住宅で営業する居酒屋さんの机や椅子は使えるものを掻き集めただろうものだった。海に近い場所はまだ何にもなかった。
私は壊れた堤防から朝、太陽を眺めて、その日に描くイメージを変更した。





気仙沼で、それでも前を向く
人や草や花や風に会いました。







20代の子たちと、また必ずここに絵を描きにくるからお互い成長して会おうと約束を交わした。



直接関わると、前を向く人々に、
悲しい映像や辛いストーリーなんかFacebookやTwitterには流せない。


十分わかってる。
だから前を向いてる。


気仙沼に上がった3本の光。



私もまた笑顔で会いに行く。




2011年、芸術の役割を問い、自分の無力さを感じ、私はまた絵を描くことと向き合いました。その中で、絵しか描けない。これしかできない。って言葉は吐かないって決めた。


私たちはどこでだって何だってできる。














2014年

3月

11日

インド行きの空

 

 

 

 

私のこの絵はインドに行く空でした。

 

 

 

その空そのものだった。

 

 

 

あまりにもそのままだったので

友達に言葉なしにこの写真を送ったら

"この絵は空だったんだね"

って言ってくれた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年

2月

14日

流行を根源的に動かす




 
 
 
絵は誰にでも描けます。
しかし、私が追い求める芸術は、いつでも時代を越えた芸術、1世紀先の流行です。何処かで見たことあるような絵で満足したり作られた道を通るだけではいけないのです。
rule(ルール)を破りtradition(伝統) を繋げる。
そして、それは人を恍惚とさせるエネルギーをもち、湿り気なく、時代を切り開く強さを持っていなくてはいけない。
ですから、感覚に敏感であることが大切です。それを察知する勘が必要なのです。
 
 
 
岡本太郎さんもこう言ってます。
ほんとうの芸術は、時代の要求にマッチした流行の要素をもっていると同時に、じつは流行をつきぬけ、流行の外に出るものです。しかも、それがまた新しい流行をつくっていくわけで、じっさいに流行を根源的に動かしていくのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2013年

11月

03日

大儀見元さんの太鼓に私の跡







甲府 桜座でのライブで、元さんの太鼓にペイントを飛ばした。(本人のご希望により)

大事な大事な一番近くにいるだろう太鼓に、私を受け入れてくれたことがとても嬉しい。

 

 

 

 

大儀見元さんプロフィール

http://genogimi.blogspot.jp/

 

 

 

 

2013年

7月

27日

ハワイの匂い




   



 

去年9月に行ったハワイで、100頭くらいのイルカと海の神様ウミガメと泳いで、You are lucky girl!!って言われた。懐かしいな。

旅が好きだ。

 

 

ハワイの地でこんな仕事がしたい!って思ったことが、ハワイアンレストランTIKIの壁に実現する。

 

 

 

11月にはバリ島に行ってライブペインティングしたり、子供たちとワークショップするつもり。

8月は気仙沼。10月は大儀見元さんと大口純一郎さんと甲府。

 

 

 

少しずつ、長野から出始めた。

名前も住んでいる国も知らない人が、携帯の待ち受けにしてくれたり。

なんだか不思議。

 

 

 

 

 

 

2013年

7月

07日

恍惚と孤独と海の青。ラピスラズリの華、それを囲む光

 

 

 

 

 

 

ここ何年かの自分の表現への向かい方を一言で言うと、

 

 


正直に表現すること
恍惚とした唯一無二の
新しいものをみせること

それは完全な清らかさをもち純粋であること

 

 

 

 

そんな気がする。

 

 


スタイルとか作風って、こうしようってするものではなくて
気がついたら後ろにあるもの。
けれど私は、自分のスタイルに自分が束縛されるのを嫌う。

 

 


最近、越さんの絵って本当に越さんみたいだねって言われた。

 

私はずっと変わらないねって言われた。

 

 

 

変化に変化していく柔軟さと、
ずっと変わらない深いところが必要なんだ。

 

 

 


私は私の絶対を、疑う。
可能性はそれ以外の場所に山ほどある。

 

 


自分で道を見つけたり、細い道でも歩きながら作ったり、そこでたくさんの色とりどりの人と出会ったり、

そんなことをして私らしく挑戦していきたい。

 

 


好きなことを仕事にする覚悟を中学3年生の時にした。


情熱は足りているかってこと。


まだまだ一歩。

 

 

 

 

好きな言葉って聞かれてもずっとなかったのだけれど、

最近見つけた。

 

 

唯一無二。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

2013年

3月

06日

絵画教室はじめます。

 

2013年4月から長野市の五分一カルチャーセンターで、月2回の絵画教室をはじめます。

もともと、父がクラシックギターを教えている場所で、私も始めることになりました。

 

 

フリーランスのペインターになって3年目。

また新しいことをスタートしてみようと思います。

 

 

 

とはいっても、絵は教えるものじゃない。

そう思っています。

 

 

 

専門的な技術ではなく、こどもたちの想像力を伸ばすこと、それを表現できるようになることをコンセプトに、自分らしくできたらなと。

 

それで、対象は小学生にしました。  一般コースはおまけです。

 

 

 

 

長野に拠点を移してからは6年、美大進学予備校の講師をする中で、ワークショップの中で、イベントの中で、

私のたった一言で

たった一つのアドバイスから

描く背中から

表現できたそのものに笑顔になるこどもたちの姿をたくさん見ました。

 

 

同じ目線に立って夢中になっていたら、いつの間にか子供たちといる時間が好きになっていました。 

 

 

 

 

その中で、私がずっと守り続けてきたことがあります。

それは、なんでもやらせること。

自分で決めさせることです。

どんな小さなことでも手をかさずにやってきました。

 

 

もう一つは、大人たちが一般に思う色のにごりや絵の出来を

決めつけないことです。

 

 

服が絵の具だらけになってもいいじゃないか服なんてと、言ってきました。

 

 

ゴミと芸術も紙一重、汚いと美しいも紙一重です。 

 

 

 

 

はさみを持ってくること、紙を用意すること、片付けること、

何か言いたいことをいうこと、

色を選ぶこと、

やるかやらないか、

 

 

答えは自分の中にあること。

 

 

それは

自分と向き合うこと

自分を知ること 

人任せにしないこと

できなかったときに誰かのせいにしないこと

友達の作品に愛を見れること

 

人の気持ちを想像できる子に

愛や夢を抱ける子に

 

 

 

それが

想像すること。

表現すること。

 

 

 

そう思うのです。 

 

 

 

 

今年は、絵画教室以外にも、高校生や子供たちとの関わりが増えそうな年です。

 

教室はゆったりできたらなと思います。

海外に出かけたりなどの時はお休みさせてもらったりすると思いますが、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

お問い合わせは直接カルチャーセンターにお願いいたします。

五分一カルチャーセンター

 

381-0034 長野市高田368-5

tel.026-262-1282

fax026-262-1283

2013年

2月

20日

たった一つ




私は、たった一つの

たった一人の私から生まれる

今日というたった一つの日の

その瞬間の刹那に

愛した

そのことや

ものや

その線を

愛する

 

 

そして私はいつも

世界にたった1枚のその絵を

その目の前に立つ

たった一人の人にむけたいと思う

 

その絵の前に立つたった一人の人が世界中にたくさんになればいいと思う

 

 

 

そして、私は多くのものではなく

たった一つの

私を愛する愛がほしい

 

 

いつも一つでいいんだよね

 

 

 

 

 

 

photo by Satoko Maeda
photo by Satoko Maeda

2013年

2月

18日

強く儚き優しい絵

 

昨日「越ちひろ展 強く儚き優しい絵」を無事に終えることができました。
2月の寒空の下、雪の舞う中、1078人の方にご来場いただきました。
 
 
 
私は毎日わずかでもと、会場の空気を確かめ、いらして下さる方にそっと寄り添えるよう、会場に行きました。
抱いている赤ちゃんに絵を見せる若い夫婦、会場を楽しそうに走り回る子供たち、たくさんの家族連れ、小学生にもらったラブレター、高校生の子たちからのライブペインティングの相談、何時間もいてくれたたくさんの方は20代から70代くらいまで年齢層は幅広く...て。絵をずっと見つめる背中、何度も来てくれた方、家族の知り合い、友人の家族やその恋人、県外から駆けつけてくれたたくさんの友人、同級生や先生、教え子、携わり協力してくれたさくさんの仲間やスタッフ、支えてくれた家族、ライブペインティングに涙する姿、服や顔に飛んだ絵の具に喜んだ顔、本を抱え来てくださった方、握った温かい手、温かいハグ、書いたサイン、お花やお菓子や手紙やワイン、足を運んでくれたたくさんのたくさんの愛する人たち。たくさんのたくさんの人たち。
 

 


またお返しするものができました。
あたたかい愛を走れる手と足にもらいました。

 


強く儚き優しい人間でいたいです。
いつも真っ直ぐ純粋にいたいです。
本当に大切なことはどんなときも守り、伝え続けたいです。

 


何度も何度も、ありがとうを。本当にありがとうございました。
そして、今までもこれからも絵を描くたった1人の小さな私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。


生きることは、描くことは、大切なものを丁寧に愛するということ。強さも弱さも醜さも美しさも憎しみや孤独や愛を抱え生きること。毎日の刹那に儚さとそれでも確かに存在する生を全うすること。




2013.2.18 愛を込めて

 

 

 

 

photo by Sambo
photo by Sambo

2013年

1月

19日

Painting is my love

painting is my love

 

この言葉を掲げ、まるごとあなたに捧げよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年

1月

08日

2012

A HAPPY NEW YEAR

 

 

明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願い致します。

 

 

昨年は、芸術の非力さと、それでも無力でない力、を実感した年であり、

自然の猛威を見せつけられ、ただただ、呆然と立ちつくし、

それでも復興へ向かう人間の、強さを感じた年であり、

 

 

原発とその放射能の見えない怖さの中で、子供達と日本の未来をどう守っていくのかを

考え始めた年でした。

 

 

芸術家として、は、私の中で、人間として、と同じです。

人間として、やるべきこと、できることは、

生きていたら、永遠になくなりはしない。

 

 

だから、私は、これしかできないって言葉だけは吐かないって、

去年、決めました。

私は、絵だけ描いてるわけにはいきません。

私は、絵を描くことだけしか、できなくはない。

 

 

そして、これからも、ずっとすっと絵を描いていたい。

 

 

今年は、重心を落として、進んでいきたいと思います。

そのことの、本当にあるべき姿。

そのことの、本当の意味。

表面の内側の奥の奥の奥にある。そのこと。

大事なこと。

大切なもの。

見えないもののリアリティを。

もう一度、見つめ直す。

 

答えのない世界で、正しいことなんて、何にもわからない世界で、

 

私の信じたり、信じたかったり、

進みたくて

進むべき

道を

一歩、一歩を大切に

まっすぐ進むこと。

 

 

描くことの素晴らしさは、

手間をかけることの大切さは、

絵は、

 

 

人と人の中にあり、

人の中にあり、

生きるもののなかにある。

 

 

ここに、返すものがある。

たくさん返すものがある。

 

 

 

 

 

 

 

2011年

12月

25日

White Christmas

 

 

 

yoruni yukiwo fundara beruga dokokade natta

kigashita

 

 

 

 

 

 

2011年

12月

14日

2011.12.14 宮城

 

 

18日の収益を楽器に換えて被災地の子供達に贈る、復興支援イベントのため、福島県を通って、宮城県山元町へ。

 

 

福島県に入ると、ガイガーカウンターが鳴る。

子供達が住めない場所に、子供達がいる。

まだ宮城は測定もされていない。

 

 

山元町。なんにもない。なんにもなかった。

 

 

大地にそれでも生えてくる、雑草を踏むことができなかった。

 

 

仙台市で、たくさんの涙をみて、涙した。

 

山元町で見た光景が、人々の涙と重なった。

 

 

ここにいる誰しもが、震災で愛する人を失っていた。

 

 

 

なんにもない大地から、津波と共にここに来たのだろう貝殻を一枚拾った。

忘れない。絶対に忘れない。

 

 

私には何ができるだろう。

ずっとずっと、私には何ができるだろう。

 

 

 

これしかできないって言葉は、吐かないって、いつの日にか決めたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

9月

29日

2つ目の薔薇

 

 

ニューヨークから帰ってきて、みぞれりんごのうめ酒が発売になり、24時間テレビの壁画監督、三四六さんのCDジャケットの絵、欅屋びくらさんの2.6X7mの壁画が完成、などなど。

そして10月は篠ノ井市民会館でのライブペイントや、創業180年の柏屋さんの桐・杉の部屋一面への制作が始まる予定。

ポンタさんのドラムももうすぐ届くのだろうか。

 

 

 

そんな中、来年3月を予定して私の画集を出すことが決まった。

ついに、ついに、本になる。

 

 

 

キャンバス作品だけじゃなく、この本には、私の絵と私を囲むできるだけたくさんのものを詰め込みたいと思う。

 

 

 

描くということ。

私にとって描くということは、キャンバスの白い画面にただ向かうことだけにない。

どこへでもなんだって私らしく、描ける。

今まで、お金は経験と体験と出会いと絵に使ってきた。

描くという表現は、私の生きるという表現である。

そしてたくさんの場所から、たくさんの人と絵を通して出会いたい。

言葉よりもずっと心でわかりあえるから。

 

 

 

 

忘れてゆくものや薄れてゆくもの

目に見えないものを

深く大切に忘れないようにしたり

心に持っていられるようにすることが

私の役目なんだと思います。

 

 

 

びくらの壁画を描いていて、楽しいですか?と

何人かの人に聞かれた。

本当に楽しいことは、とても苦しいことたっだりするから、

私は楽しいですとは答えられなかった。

 

 

まっすぐ純粋に楽しく歩こう。

 

誰の意見も気になんかしていられない。

もっと気にしなくちゃいけないことが山ほどたくさんだ。

 

 

私は私の上を歩く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 コメント

2011年

8月

09日

Sketches Of Spain

村上ポンタ秀一さんのドラムへのペイントが決まり、6月辺りに、ポンタさんに会いに行った。

 

 

その時に、心の中で

スペインの真っ赤な夕日と情熱みたいなドラムにしようと決めた。

それは、ポンタさんには伝えなかった。

 

 

ニューヨークにポンタさんから、パール楽器さんから、連絡があった。

きっともうすぐ届く。

 

 

 

帰ってきて、ポンタさんが、自分の永遠の中の一枚を送ります。イメージの参考に。

と1枚のCDが送られてきた。

Miles Davis

ジャズのサックス奏者だ。

 

 

 

 

CDのタイトルは、

Sketches Of Spain

 

 

 

 

スペインのスケッチだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

8月

09日

NY

 

いろんなものが、大きかった。

町も人もファッションも絵もハンバーガーもギャラリーも。

 

 

 

確かなものは、日焼けとダニ。

歩いて歩いて見つけて見て会って実感した。

夜はこの旅で知り合った人たちが毎日毎日会ってくれた。

見たものも8本のフィルム写真も過去になり、思い出となり、人は淡く儚く夢のよう。

 

 

 

とにかくたくさんのポストカードをあの場所に置いてきた。置いてきたのじゃない、手渡した。

私の絵をみんながBeautifulって褒めてくれた。

絵だけじゃなく、トランクや帽子やペンダントも褒めてくれた。

そのことは、私そのものが、表現なのだと再確認させた。

どこも手を抜く気はない。

 

 

 

 

またあの場所へ行く。今度はもっと大きな絵を見せに行く。

儚いものは、確かなのだと確かめに行く。

 

 

 

 

今は、淡く夢のよう。

いつかじわじわくるのだろうか。

今は、肌に残るものだけが確かであり、これもまた、消えていく。

 

 

 

 

人生とは、その繰り返し。

淡く儚く、確かにここにある。

 

 

 

 

私は永遠の旅人になりたい。

 

 

 

 

探し物がある。

 

 

 

夜の7時頃。ニューヨークのこの色が好きだった。
夜の7時頃。ニューヨークのこの色が好きだった。

2011年

6月

24日

シンプルな生と死

 

 

最近呼吸をするように私を表現しています。

 

店舗デザインを手がけた時は、近所の滝に枝を集めに行って、枝でオブジェをつくる。

 

庭の花で、生け花をする。

 

散歩しながら、花冠をつくる。

 

野菜を大きなお皿に盛りつける。

 

プレゼントに絵を描く。

 

その合間に、キャンバスに向かう。

 

私が生きるたくさんの時間に、息を吸って吐くように、私を表現しています。

 

 

 

 

表現とは。

 

優しさや喜びだけでは成り立たない。

 

 

 

生きるとは、人間とは、相反する2つのものを、同じ心に抱えているのだ。

 

私は、孤独を抱えた、寂しがりやなのである。

 

美しい花には、とげがある。

 

華やかな色ほど、毒を持つ。

 

夜と朝は同時に来ない。

 

しかし、日は昇る。

 

命をもらい、命を繋ぐ。

 

咲く者は、散りゆく。

 

美しい月は、孤独だ。

 

私には、男性原理アニムスがいる。

 

けれども女性なのだ。

 

とんでもなく自由で、解放的だが、そのことの寂しさや孤独や、心許なさもある。

 

選ばれし者は、恍惚と不安をもつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、生きながら、死を抱えて、なにかを表現する。

 

心よりもっともっと深い場所にある、魂を吐く。

 

感情よりも深い場所。

 

 

嬉しさも悲しさも、越えた場所。

 

言語では、表しきれないことがある。

 

 

 

 

 

 

 

2011年

6月

22日

木の下の影の中

 

 

 

 

 

 

 

もっともっと高い空を飛ぶための、白くて柔らかな羽をくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

5月

18日

大人になること

 

 

私も少し大人になりました。

私が大人になると絵も大人になります。

 

子供のまま、大人になりたい。

 

 

 

やっとスタートラインにたった気がします。

 

 

ここが勝負時だってわかってる。

 

 

 

 

そう、その答えはyes。

そして、すべてに答えはなに1つない。

 

 

 

 

プロフィールにLive paintingの写真を追加した。

2011.4.10の子宮けい癌検診啓発イベントの15分間のライブペインティング。

その最後の瞬間の顔。

いろいろな思いに涙をこらえた顔。

 

 

 

忘れない。

絶対に忘れない。

 

 

なくさない。

絶対になくさない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

5月

01日

春風

 

 

 

 

 

 

いつもどこか遠い目をしてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

4月

15日

 

 

僕は重なるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

4月

15日

陽炎

 

 

陽炎がライブペインティングをする前の私に見えたみたいだ。

オーラであり、魂であり、情熱であり、陽炎ではないかと思う。

 

 

ものすごい集中力だった。音も観客もなにも入ってこなかった。

 

 

魂と身体と絵の具の境界線を失った。

 

 

顔と画面と絵の具が1ミリの中に入ったとき、

悔しくて、嬉しくて、楽しくて、恐くて、ここにかけたくて、もっとかけていかないといけなくて、愛しくて、

これしかなくて、

涙をこらえた。

 

これしかないと言えないほど、私にはこれしかない。

 

 

次の日も次の日も驚くほど全身が痛かった。

神経そのものが痛かった。

 

 

この感覚を使うとこのくらいのものになる。ということがわかった。

 

 

 

私は、不安定で孤独の時に、絵を描く以外の対処法を知らない。

どこかにそれ以外のそれを取り除いてくれるものは、これから私に現れるのだろうか。

 

 

 

明日から小布施の展示。

とてつもないものができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

4月

15日

311

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

4月

10日

風を切る

 

 

 

 

高校時代に、陸上部の先輩に「なんで陸上やってるの?」

と聞いたら、

走っている時はすべてを忘れられるから。

と返ってきた。

 

 

今日はライブペインティング。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

4月

08日

世界の星の

 

 

 

 

君の声を聞かせてよ。

 

 

 

 

鳴るまで絵の具を離さない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

3月

01日

毎日と絵と私と毎日と

 

もう3月。

最後のブログを書いたのは、11月30日。

ゆっくり腰を下ろして、長い日記を書く暇のない毎日でした。

 

 

ツイッターは、私のメモ書きみたなものに使ってます。

だから堅苦しい文章なんかばかりです。

そんなに一生懸命絵のことを語らなくてもいいのに。と思われているかもしれません。

 

 

でも、私の頭の中は、いつも夢みたいなことに夢中です。

だからほかにつぶやくことがみつかりません。

 

 

 

昨日ブログを更新する気になりました。

じっくり文章を書いて、考えて、宣言して、スタートをきろうと思う。

 

 

 

ドローイング展が無事に始まった。

330枚くらいになっただろうか。

 

 

 

実は2004年くらいから積み上げてきた表現に限界を感じていて。

なんで限界を感じたかというと、どうしてもあの頃に勝てないのだ。

絵も私も、ずいぶん大人になってしまった。

どこか上手に、器用に、渡れるようになってしまった。

破って破って挑戦していく強さが、なんだか私たちには足りない。

小さな場所でもがいてるだけになっている。

 

 

あまり絵に向わない年もあった。

向かっていたら違ったかもしれない。

 

 

でも、今はまた向き合ってる。

だから、私は、君と今までに向き合ってきた中で、一番まっすぐいようと思った。

 

 

 

 

だから、また1つ1つ創り上げる。

何が好きで、何が気になるの?

何をどう描こうか。

 

 

 

そんなスタートに、ドローイング展をもってきた。

これは見たらわかる。

今までの私と違う。

違うようでどこか似ている。

 

 

 

だから、ある画家の方に批判もされた。

がっかりだと言われ、

一枚一枚見れない。と言われ、

枚数稼いだだけ。とも言われた。

 

 

 

でも、いいんだ。

たくさんのメディアが芸術にも広がりをみせる。

でも、私は描くことが好きなんだ。

シーンに背中を押されて前に向かうよりも、私は、好きな道を自分で歩きたい。

 

絵が好きなんだ。

 

 

 

描いてるときは好きなんて言えないことばかりだけど、好きなんだ。

絵は正直だから。私に絶対嘘をくれない。

だから好きなんだ。

 

 

ドローイング、今回は私の体に、今までの生きている間に、生まれる前に、抱えたものを、もう一度、すべてだそうと思った。

もう一度、原点に戻る必要があった。

もう一度、君とゆっっくり話がしたいと思ったし、そうしないと、私と君は限界だったんだよ。

 

 

 

そしたら、2004年くらいの形やモチーフなんかもちゃんといた。

私の体を切り開き、骨も肉も血も探ってみたかった。

 

 

 

これは完成じゃない。完璧でもない。

また、うまくやっていくためのスタートなんだ。

一歩なんだ。

だから私は自分に、がっかりなんてしてない。

胸を張って前に進む。

いいドローイングがある。手放したくないものがたくさんある。

 

 

 

画家だと自分で言って少し売れて、長野や東京に少し知れ渡って、絵だけでご飯が食べれて、それで満足して。

私はそんな人生にするのは嫌なんだ。

 

 

中途半端に生きるのは嫌なんだ。

 

 

 

今までみたいな絵を描けばいいと思って、今までよりも少しだけ変化して、絵は低下して、エネルギーも低下して、それにも気づかず、気づいても気づかぬ振りして、スタイルに縛られて、ドローイングも今まで描いてきたモチーフばかり描いて、ドローイングにも完璧を求めて、少しうまくなって、少し何かを得て。

 

 

違う。

うまくなんてなりたくないんだ。

小手先だけで絵を描く人間にはなりたくないんだ。

誰かと自分が決めたスタイルなんてどうでもいいんだ。

そんなところに満足したくないんだ。

 

 

 

もっともっと壊して壊していい絵描いていきたいんだ。

君にだけは、背中むけたくないんだ。

もっと私は私の絵にみたいんだ。

 

 

 

たくさんのものが現れた。たくさんのもののようで、そんなに多くもない。

全部バラバラしているようで、どこか繋がっている。

そんな300枚になった。

 

 

 

あるアーティストの方が、あの日作品にもあなたにもエネルギーを感じたって褒めてくれた。

いいものには霊的な何かがある。その下の一流にはそれがない。

と言っていた。

たくさんの方が来てくれて、作品を買っていってくれる。

本当に嬉しいこと。

 

 

 

これからむかえる、下絵展、スペインの旅、小布施の境内での展示、NYのグループ展。

 

 

 

 

私は、世界に、時代に名を残すアーティストになりたい。

一生戦います。

 

 

 

 

売れることや地位や名声と戦うんじゃない。

目の前の君と今までの中で一番戦う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

11月

30日

描くことは最高の遊び

twitterを始めてから、ブログおろそかにしてました!

最近壁画の仕事がずっと続いて、パソコンにあまり向かう暇もなく。

壁画の仕事がこんなに続くとは予想外。

こんなに楽しいとは予想外。

絵ってやっぱりいいのね。何にも変えられない。

温かくて強くて優しくて恐くて、さり気なく寄り添ってくれて、消えそうで儚くて、美しくて汚くて、生きていて、何にも変えられない。

 

 

この半年で、店舗への壁画作品は6作品。壁画以外の作品が5作品。

たくさんありすぎて数が間違っているかも。 

年内は、MIST Luxury への作品と住宅の和室への仕事で終わるかな。

 

 

 

 

真剣に遊んでます。

やっと絵を描くことが最高の遊びだと言えるようになった。

どれもすべて1つも少しも妥協したことはないです。

時間がなかったら睡眠時間を削ればいい。休憩しなければいい。限界のベストを尽くす。

楽しくて一生懸命に苦しくて疲れて寝れなくて涙がでて、でもそれが楽しい。

この遊びが一番楽しい。

何をするよりも楽しい。

毎日ずっとこんなのがいい。

そして、疲れた時に少し寄りかかれる人たちとお酒があったら幸せ。

早くまた描きたいー。描きたい!

 

 

 

 

最近大学恩師の先生が、壁画を見てくれて、素晴らしい!と感動してくれた。

間の取り方、色、場所への対応、さすが造形大の学生だ!って言ってくれた。

そして私が、下書きをしないことに驚いて、よくそれで描けるね!!!と驚いていた笑

そうなんです。私そういえば下書きは正円などきちんとした形を出すとき以外、してない。

というか、下書きをしていないことに気が付かなかった。

本も桜も不死鳥も。

遊んでいるんです。

そこの場所で自由に遊びたいんです。

失敗できないものに対して

形が無いところに挑むことは、とても恐いこと。

だから最高に楽しい。

それだけの精神力は必要。だから強くなる。

 

 

 

そして、母校に前例のない職業だ。と言っていた。

1つ1つに一生懸命にこなしていたら、いつの間にか新しい職業を作ってしまったみたいだ。

確かに聞いたことがない。

今という時代と場所に寄り添っているのだ。

ちょっと恐くもなるくらい不思議で。

だって絵を描いて食べていけてるのだから。

でもまだまだ。まだまだ。

 

 

 

その仕事が、信濃毎日新聞の見開き半面に。

その日は、人生の中で一番メールがきた。

朝から晩まで、小学校の時の先生から、同級生のお母さんから、友達から電話。

メールは80件くらいきて。

地元に感謝です。私の絵を育ててくれているのは、温かい地元の人たち。

 

 

 

2月は個展も控えているし、

 

 

 

ここに満足せず、まだ見ぬ高いとこ目指して前進していくことを誓います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

9月

30日

孤独

 

 

絵の具が手や足から離れない生活がまた続いた。

 

描いても描いても描くことが終わらない。

 

髪の毛は太陽に焼けて傷んで、足は蚊に刺された跡と脚立にぶつけた跡ばかり。

寝不足や疲れもたまって、思考は止まる。

ただ、ただ、夢中に描く日々。

夜は、大抵次の日を迎えるまで。最近は平均睡眠4時間半程度で描いていた。

すべてが絵の具に染まっていく。

 

 

 

手も洗わずにコンビニで買い物。

血管みたいに手を流れる黒い絵の具に、店員さんがびくっとした。

 

 

 

 

絵の具は、服よりも近くに感じる物質。

絵の具という物質が、身体という物質を通して、私という存在と重なって、

ここにいなさいと私に言う。

形あるものは空。空は形あるもの。

形あるものが意味するのは空であり、空が意味するものは形あるものである。

 

 

 

 

私の匂いのように、私の色になって、私を訴える。

私の色。私の肌。 私の存在。

 

 

 

手には、マニキュアや指輪はしない。

夜に1人、絵の前で、絵の具を足の爪に塗った。

 

 

 

 

 

 

 

最初は、どんなものでも、泣きそうになるほどできなくて、不安になる。

模倣しなければ当たり前のことだ。

できなくで、少し気がゆるむと本当に泣いているくらい落ちる。

でも、最後はいつもいいものになる。

いいものになると信じて立ち向かう。

これは、私との戦い。

私には負けない。負けちゃいけない。

 

 

 

 

 

 

最近、本棚と本を描きまくった。

本を描き続けて寝れずに生きるか、夢の中で本に潰されて死ぬか、

どっちかだ。と思った。

描かないで生きると言う選択は、私にはないと思った。

生きるか死ぬか。

それは、死を感じないと、生を感じない。

ということ。

苦労をしないと努力をしないと、本当には笑えない

ということ。

そういう生き方をしていたい。

 

 

 

 

 

 

最近絵を買ってくれた人に

越さんは自分を一言で表すとどんな人ですか。

と、聞かれた。

 

 

孤独な人だと思います。

と答えた。

 

 

 

 

月の光を浴びて、赤いワインを飲む。

髪は狼の尾。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

8月

20日

2010 SUMMER

 

 

 

気がつけば夏の終わり。

 

 

今年の夏は絵の具まみれの夏だった。

 

 

 

ぐちゃぐちゃに絵の具まみれで、ぐちゃぐちゃに汗かきながら創った夏。

休む暇なくそれが続いて、気がつけば夏が終わる。

残暑と一緒に、この夏の仕事たちもあと少し残った。

そして、新しく秋を迎える季節と一緒にまた新しく創ることが始まる予感もくれた。

創ることとそのまわりの人達との夏だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始まりは、ミストの2F。

450枚の鏡で天の川を創った。

映るシャンデリアやライトの光も星に変わる。

24歳の夏に見た甑島の天の川の記憶。

宇宙銀河の天の川の下でparty!!2010
宇宙銀河の天の川の下でparty!!2010

 

 

 

 

新しく七瀬にopenするお寿司屋さんの外壁。

家紋を入れることのみ要望があり、後は自由にやらせてもやった。

夕方からの屋根の上での制作は、夏祭りの一人舞台だった。

下にはたくさんの見物人が出た。

家紋の方まで花が伸びて完成
家紋の方まで花が伸びて完成

 

 

 

それから私が教える予備校のかわいい生徒達とシャッターアート。

座る道路からも夏を感じたり、夜は夏の匂いがしたね。

宇宙に私も、私という星、ダイヤモンドを描かせてもらった。

描ける日がある限り、雨の日もずっとずっと描き続けていた。

強く優しい絵。

ありがとう。

 

 

 

 

 

東京造形大学の恩師、教授の生嶋さんが長野に来たので、一緒にお酒を飲む。

本当によく飲んだ仲。

お酒の席で、造形大学広報の人を、真剣に周りの目を気にせずに、

学生のことを考え怒っていた。

そんなことしてるとこの子が泣きますよ。と怒っていた。

人を真剣に怒れる人であることに改めて感動した。

自分の利益以外で、こんなに叱って、訴えてくれる人は長野にはいない。

 

私のころは、帰れと言っても聞かず、描く、遊ぶ、そんな時代だったと言っていた。

何もかも夢中にやった。

守りに入ることを知らない攻撃的な学生だったと思う。

みんな目をぎらぎらさせて、ぶつかった。

 

次の日に、ばあちゃんが今朝採った夏野菜を段ボールのまま電車で抱えて持っていき、

おみやげに渡した。

生嶋さんも段ボールのまま抱えて、東京に持ち帰った。

 

太陽の下の緑色の野菜と、懐かしい思い出。

まだまだ戦い続ける人たち。

 

 

 

 

 

それから南石堂町のお祭りにて卒業生(大学生)と在学生と一緒に壁画制作。

また、ダイヤモンドを描いた。今度はそれに目を入れた。

帰ってきてくれてありがとう。

絵の具だらけの手で飲む昼間のビール。

駅前西友駐車場
駅前西友駐車場

 

 

 

 

 

壁画の繋がりで、夜は、南石堂町のお祭りにて

卒業生と2人で、20分間のLive Painting。

 

 

 

 

次の日も次の日も、興奮していた。

描き終えて、一番感じたことは

私は、描くことが好きだということ。

 

 

 

 

絵を描くときの私の目を、私が他の何をしているときにも見たことがないとよく言われる。

それから、酔っぱらっているところしか見たことがなかったと、よくこういう場面や作品をみてすごく驚かれる。

そのたびにやったね。と思う。

最高のほめ言葉だと思う。

苦しいところを見せて、絵は見せられない。

苦しく必死なことも笑って難なくやったような顔をしていたい。

 

 

私の努力や苦労は、内側に。

絵の表面には、もっと言葉にならないことを。

というかまだまだ努力や苦労がたりない。

簡単なことをより深く。

深いことをより簡単に。

なんでもないようなことをより大事に。

大事なことをよりなんでもないように。

 

 

 

 

 

2月にFLAT FILEにて個展が決まった。

GalleryオーナーのモリヤさんはんN.Y帰りの方で、(たしか、むこうには10年ほど住んでいたと言っていた)

いずれはFLAT FILEごとartistを抱えてN.Yに持っていきたいなんて話をしながら、Drawing10点を預けた。

1年間FLAT FILEにて、販売していますのでよろしくお願いします。

私もまだ見ていなくて、モリヤさんのハンドメイドの額に入れられているはずなんで、楽しみ。

 

 

 

2月の個展は、モリヤさんのご希望によりDrawing展です。

そういえばDrawing展は初めて。

200から300枚展示してほしい。と言われました。

じゃあ1000枚以上はとりあえず描こうと思った。

 

 

 

以前になるべく早くにやりたいと言ったら、みんな制作が間に合うか心配なので、なるべく遅い月を希望しているという。

私は空いている月の一番早い月を希望した。

私は二月でも遅いくらいだ。

創ることをそんなにのんびりやっていたら、そのまま何も創らず、死んでしまいそうで怖い。

 

 

 

すごく楽しみ。何が楽しみかというと、

自分がまた変われそうだから。

私の知らない私に会いたいのです。

 

 

 

N.YのGalleryもいくつか紹介してもらった。

以前から描いている身近な夢は、N.Yや海外に作品を見せていくことだったので、

ほんの少しだけその夢に近づけそうな予感。

まだ何も自分で動いてないので、ただの予感。

 

N.Y帰りのモリヤサんが作品を褒めてくれるのは、本当に嬉しいこと。

 

 

 

 

 

そして、お寿司屋さんの2Fの上座。

これはすべて任せてもらえたので、私の好きにやらせてもらえた。

それって、すごいこと。そしてプレッシャーで緊張したり落ち込んだりしながら、

完成した。

 

幹は白で、花はドットにした。

メニューには、腕前のある寿司職人さんのお寿司とアジアン料理になるらしく、

ワインも出すと言うので、赤ワインのメニューを増やしてもらった笑

その上座は、和よりにぜずモダンにした。

ある程度の形になるまでは、不安で不安で徹夜して朝9時過ぎまで描いた。

汗をかきながら一人静かに描くことは、本当に贅沢な時間で。

疲れきった体で、出来上がっていく花の下、贅沢な夏の花見をした。

 

 

 

 

それからライバル達と1泊2日のキャンプ、バーベキュー。

ここはお皿だから使っていいよ。と絵の具のついたズボン。

当たり前の堅い頭を持たぬ人たちとの時間は、ゆっくりとした時間。

 

前々日は、描くときも日常でも聞いている音楽を生で聞きに、

一緒に6人でクラブに行って、全身筋肉痛に。

みんな好きな時間に一人一人帰っていった。

Jazzin’parkの栗原さんと話した。高校生みたいだね!と言われた笑

何か一緒にできたらいいな。

みんながびっくりすること!

 

 

 

 

それからArtistでもある、多摩美の講師の栗原一成さんと意気投合し、いろいろ話せたこともいい時間だった。また栗原さんと東京の多摩美学生達と一緒にお酒を飲みながら、日本のアート界を盛り上げていく話ができたらと思う。

 

 

 

そんな私の夏の残暑は、新しいお店の絵の依頼がおそらく3店舗とお寿司屋さんのトイレデザイン。クラブでのLIVE PAINTING。そして、1000枚を越えるDrawingを始めること。

 

 

 

本来の自分の絵を描くことと、お店へのデザインは決して重ならないけれど、

長野が私でいっぱいになることや、創ることは本当に楽しい。

 

 

 

 

もう一つ、決めたことがある。

けれど現実になるまでこれは言わない。

 

 

 

 

 

 

たくさんの絵の具まみれが幸せで、もっともっとそうなりたい。

After  Summer.2010

 

2010年

7月

15日

宇宙銀河の天の川でPARTY! in MIST

Mistの2Fに6角形の金と銀の鏡を250枚使って何か表現したい。

そんなお話をオーナーの高野さんから頂き、南米をイメージした空間に鏡で天の川を創ってます。

 

 

和田内装の方と。職人さんってすごいな、と尊敬することばかり。

まず、持っているものがおもしろい。

知らないものばかり。知らないことばかり。

全然滑らないマットや銃みたいなシリコンとか、ゴミ袋のような頑丈な袋とか、鏡もカッターで切れるのか・・・付いたら絶対にとれない両面テープとか。

なんだこれー!と

素朴でいて感心するような道具やことばかり。

素朴なことに人がつくることの力強さを感じた。

 

 

それで鏡をとめた後に、

もう絶対とれないよ

と安心する言葉と

でもとれるから大丈夫

と安心する言葉

をくれました。

そして

私が求めてる場所にピッタっとあててきます。

以前からお世話になっている方。  

私のファンでもいてくれます。(たぶん)

 

 

この方と会って、他の誰とでもなく、

こうしてこの仕事を一緒にしていることは、やはり必然でした。  

そしてもっとそう感じるものを創れるだろうと確信しています。

一緒に仕事をしていると、私に似ているなと思うことがあります。

 

 

 

 

会わせてくれた和田内装の同級生にも感謝。

いつも助けてくれます。

いつも味方でいてくれます。

 

 

 

 

 

 

月曜日、壁だけで250枚の鏡が1日で終わってしまいました・・・

来週追加したもう250枚で続きを創ります。

 

 

 

 

 

 

 

次の日に、その時は夢中になって気付かなかった脚立にぶつかっていたらしい足が、

大きな青あざになっていた。

でも可能ならば、寝ないで完成させてもいいくらい夢中でした。

大概そういう時は、終わって腰を下ろしたと同時に疲れも降りてきます。

夢中になると、食事をとることも休憩することも忘れてしまう。

 

 

 

 

 

そんな体の疲れがとても気持ちいい。

あまり頭が回らなくなるのも気持ちいい。

 

 

 

 

 

 

 

天の川を見たことがある。

大きな大きな天の川を甑島で見たことがある。

夜の海辺の長く続く道の上に大きく大きく広がって

私が歩く道を写した。

 

 

 

その川を越えよう。

 

 

 

 

来週はもっともっと疲れよう。

 

 

 

 

 

 

誰も見たことのない大きな大きな天の川を 

私も見たいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

7月

14日

My Birthday! 2010.7.8

 

 

朝、歩いていて、ふと思った。

じっくり考えるという時間と移動するという時間(場所から場所へ移るまでの時間)は、

歩くリズムと早さに一番はまる。

 

 

 

 

歩ける体がある限りは、人力のみで移動することが、一番直に身体に入るのだ。

自転車の早さや、そのたどり着くまでの時間に、私の思考は追いつかない。

車なんて論外。

何も感じないままゴール(目的地)に着くことが多い。

それでも遠出をする時なんかは(最近でいうと東京)歩くわけにはいかないけれど、90分で着いてしまう新幹線よりも、3時間かかるバスがいい。

ゆっくりゆっくり場所を移動しながら、ゆっくりゆっくりそのリズムにのって

ゆっくりゆっくりものを考えることができる。

 

 

 

 

思考だけではなく、国から国へ時空を越えると体はどっと疲れる。

これだけの距離と時間を越えるのだから、これくらいの体への影響は自然なことだ。といつも思う。

 

 

 

 

それは、人間なのだ。といつも思う。

たった1人の小さな人間なのだと。

 

 

 

 

 

 

歩くこと

それはじっくり進むこと

大地を踏みしめること

太陽の光を浴びること

月の暗闇の中の孤独と強さを感じること

同じ月を見ること

雨の温度を知ること

寂しさと無力を感じること

風と空気と重なること

風になった人を思い出すこと

その香りがすること

絵を描くこと

お腹が空くこと

夢中になること

 

ART.Music.Pink Diamond.Rainbow.Books.Notes.People.Birth.Death.Life.

汗をかくこと

涙が出ること

 

そのリズムに私の体に混ざる脳や意識や精神や感覚が興奮する。

 

 

 

 

 

 

 

30歳になりました。

やっとわかってきたこと。永遠にわからなそうなこと。

自分で歩き、生き急ぐくらい突っ走っていきたいです。

 

 

 

 

 

たくさんのメールや電話やparty。ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もらった手紙に書いてあった。

 

今こうして生きていることはとても素晴らしいことだと最近思うよ。

だから越ちゃんの30年という長いようで短い時の流れも

ひとつの奇跡だと思います。

これからもキミのたっている場所からキミのメッセージを届けて下さい。

それはきっと世界に届くよ。

WE ARE ALL ALIVE!!

WE ARE ROLLING STONES.

 

 

 

 

 

 

 

誰にも言ったことはないけれどLIKE A ROLLING STONESは私の好きな曲。

 

 

 

 

Present of pierced earrings  from ISO
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Special thanks.

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2010年

6月

24日

ダライ・ラマと私

 

 

ダライ・ラマ長野講演。

初めて長野に来ることを知ったのは、2009年12月23日の信濃毎日新聞。

 

 

 

それから、半年。

2月のチャリティー展覧会を終え、そしてまたいくつかの展覧会が始まり、

描き続ける中で、どうしても聞いてみたいことがあった。

 

 

 

 

 

2008年の東京講演では、質疑応答の時間があり、格闘技界と柔道界への選択を迷っていた石井選手がそれを質問していたのを覚えている。

でも、今回は、北京オリンピック聖火リレースタート地点を、善光寺が辞退したことの感謝の意を示したことで決定したと言われていて、様々な問題から質疑応答はないと思う、と聞いていた。

 

 

 

 

 

それでも私はずっと来ることを知った日から、私が話して、絵を渡せると信じていた。

そうなると感じていた。

確信はどこにもないのに、家族や友人にはそう伝えていた。

 

 

 

 

 

 

当日は、セキュリティーチェックが厳しくて、手荷物はすべて隣の会場に預け、携帯と貴重品しか開場に持ち込めなかった。

私は、伝えたいことを書いた紙をチケットより先にポケットに入れて、(友達にはチケット忘れてるよ、といわれた笑)

絵は高価に見せれば貴重品になるかね!なんてのも却下され、

絵も預けて会場に行った。

 

 

 

席は、質疑応答の時間になったら、すぐに前に出で行けるようにアリーナ席の通路席にしておいた。

 

 

 

1時間前に着き、着席していると、アナウンスが流れて

質疑応答希望者は今から先着順でアリーナ席から6名、2階から2名、3階から2名受け付けますので所定の場所に並んで下さい。

と、言われた。

やっぱりあった。と思いながら

所定の場所がわからない。

見つけたときには、“アリーナ席所定の場所”にプラカードが立っていて、

すでに10人くらい並んでいた。

 

 

 

だめだと思った。

 

 

 

諦めながらも、少し早歩きで向かってそれでも並んだ。

すると、前の人が団体で消えて

最後の6番目の鮮やかなオレンジ色のたすきをもらえた。

だから、私もう大丈夫だって思った。

 

 

 

公演中は、ずっとその紙を手に握っていた。

無くしてしまうのが怖かった。

絵を描く時の感覚や、箸じゃなく手で食べるような感覚でもあった。

 

 

 

3時半に集合と言われたので

1番乗りで場所に行った。

時間的に全員が質問できないのもわかっていた。

もしかしたらの可能性で、席に来た順になればいいと思った。

さっき、何を根拠にもう大丈夫かなんて思ったのかわからないほど、また不安になった。

 

 

 

僧の方に

意見をまとめてきたと不意に紙を見せると、時間がないから短くしてくれと言われた。

自分から話しかけておきながら、

すべて伝えなきゃ意味がない。と思い

勝手に却下した。

 

 

 

 

時間になり

「たすきをもらった順に並んでください。」

と言われ、

6番目じゃだめだ。

と思った。

 

 

 

マイクは左右の通路に1本づつの計2本あって、

左側はアリーナから、右側は2階3階からの質問者が並んだ。

会場をダライ・ラマ近くの左側マイクに進んでいる最中に

「6番目の人はむこうのマイクに行って」

と言われた。

何か起こりそうな予感がした。

けれど、その人に

「むこうのマイクの一番後ろについて」

と言われた。

1番最後じゃだめだ。

とまた思った。

一か八かで右のマイクの方の人に

「アリーナの6番なんですけど」

と言ってみた。

「アリーナ6番目の人が先頭です」

と、右のマイクの先頭に立ってしまった。

 

 

 

私は2番目に意見を言った。

ダライ・ラマに「次は君だよ」と指をさされた。

 

 

 

 

7000人の中の10人の中の、結局4人しか話すことが出来なかった。

私は、3番目のたすきでも、5番目のたすきでも話せなかった。

 

 

 

講演会が終わって、帰り際に近くの尼僧の方に、意見を述べた者であることと絵を渡したいことを伝えてみた。 はい、わかりますよといったような優しい笑顔で

今取りに行けるなら渡しておきますよ。

と言ってくれた。

たくさんの贈り物がない場所で“質疑応答で話した彼女の絵”を渡せた。

 

 

 

 

絵の裏にはサインとは別に名刺を名前代わりに貼った。

私が意見を述べるとき、名前を言ったことで、前から名前を知っていたと中学校の美術教師の方が話しかけてきてくれた。

大型スクリーンに顔も映し出されたことで、会場にいたデザイナーの友達も元気をもらったと、連絡をくれた。

 

 

 

名前や顔が知られることは、とてもいいことだ。

だから私はあえて名前を言った。

私がしたい、やりたいこと、やるべきこと、をたくさんの人と分かち合える1つだから。

私が影響力を持てばメッセージが大きく広がっていくから。

言葉は強い力を持てるから。

 

 

 

 

ただ、描く行為だけは無だ。

それに言葉をつけて説明し始めると、言葉だけが空回りして、奥のものよりも遙かに

表面で上辺を遊んでしまう。

なんのためも考えない。誰のためのものでもない。

価値のないことに無意味なことに最大の価値がある。

その無価値と存在が接着面がわからなく重なるのがいい。

 

 

 

 

 

ダライ・ラマの最初の答えは

I don't know.

 

私はたぶんその答えを待っていた。

その後に、

あなたの意見に非常に感銘を受けたというようなことと、21世紀を担う若者がこういうことを考え行動していることが嬉しいというようなことと「9回失敗したら9回挑戦すればいい」というチベットの諺をくれた。

そして手を合わせてくれた。

 

 

 

 

緊張して答えをはっきり覚えてないけれど、言葉を思い出して並べるよりはっきり心に入った。

 

 

 

 

 

 

何よりも私は、7000人の人に

芸術は生命そのものであり、生きることそのもの

と言えてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

たくさん緊張して、震えて、でも言えた。

やっぱり言えた。

それは貰ったチベットの諺だった。

 

 

 

 

 

 

 

やりたいこと、描いた夢。実現していく力に自信をもって

もっともっともっと頑張っていく。

 

 

 

 

何度も何度も失敗して、挫けて、それでも何度も、何度も、前に進む。

 

 

 

 

そして私はその中でどんなことがあっても世界の人々のことを忘れない。

 

 

 

 

妥協も後悔もしない人生にする。

 

 

 

 

 

近くで私を見つめて笑う活仏、観音菩薩。発言する前の静まり返った空気とキラキラしたライト、大型スクリーンの中の私、話し終え会場を歩き出したとき、何かが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の話したことは次のことです。

「今日はようこそおいで下さいました。

私の名前は越ちひろと言います。油絵を描いています。油絵を描くこと、絵を描くことを職業としています。その中で考えていることがあります。

2007年N.Yで、デザイナーたちが、残りの90%の人々のためのデザイン展という展覧会を開催しました。今、私が手にしている製品やサービス、デザインは、世界の10%の人々にしか触れられていないことを知りました。その他の90%の世界の人々はそのデザインを手にできないばかりではなく、食料やきれいな水さえも口にできないこと、そして6人に1人は1$以下の生活をしていることを明らかにさせられました。

作品は、世界で使われているどんな水でも飲み水に変える個人携帯用浄水器や、自分の力で貧困から脱出させている農業用具などでした。

私は絵を描くアーティストです。製品をデザインすることはできません。

しかし、芸術は生命そのものであり、生きることそのものです。それは人の心を豊かにします。私はそんな仕事に誇りを持っています。人の心の豊かさはどんな場所のどんな人にも必要だからです。

私は、2月に長野市で、38人のアーティストを集めチャリティー展覧会を開催しました。 68点中45点を売り上げ、全額のおおよそ27万円を寄付しました。

しかし、集まったお金を団体に寄付し、託すことが最善の方法ではないと思います。

デザイナーは直に製品やプランから手を貸すことが出来ています。

私たち芸術家、絵描き、アーティストはその資金をどのように動かしていけばよいか何かありましたら教えて下さい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

この答えはダライ・ラマと話した直後に、少し見えてきた気がする。

アーティストとデザイナー、その他もっともっとたくさんの人たちと一緒に考えていけばいいのか。と。

 

 

 

 

 

-ダライ・ラマの般若心経より-

 

ダライ・ラマがカルマ(業)について述べた文(部分)

 

生命は無限である。それには始まりも終わりもない。よって、行為、カルマもまた始まりもなく、終わりもない。カルマは無限である。いわゆる無限大のカルマがあることになる。

 

 

般若心経の翻訳(部分)

 

現象を形作る5つの集積したものをよく見極め、その本質が空であることであると見徹すべきである。

形あるものは空であり、空は実に形あるものである。

形あるものは空以外のものではなく、空は形あるもの以外ではない。

形あるものが意味するのは空であり、空が意味するものは形あるものである。

同じように、感じるものも、識別することも、心が作りだすものも、認識も空である。

 

 

かくの如く、シャリプトラよ、すべての現象は空を特質とする。

それらは生じず、減せず、汚れず、清純でなく、完全ではなく、不完全でもない。

 

したがって、シャリプトラよ、実に空においては、

形あるもの、感じるもの、識別することも、心が作り出すものも、意識もない。

眼なく、耳なく、鼻なく、舌なく、身なく、心もない。

形なく、音なく、臭いなく、味なく、触れるものもなく、現象もない。

視覚が捉える要素がないのと同様、意識の捉える要素も、認識する要素もない。

知もなく無知もない。どこまでも知や無知が尽きることもない。

老死はなく、不老不死もない。苦はなく、始まりがなければ終わりもなく、悟りに至る道もない。

叡智もないし、達成することも達成しないこともない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3 コメント

2010年

6月

22日

Thanks a lot for came the entkukui's opening party !!

 

 

 

15日、16日のopening party。

おおよそ4時間の間に来てくれた人45人。  

3分の1は結婚式と同じ大学メンバー。 

2月の展覧会東京メンバーもほとんど来てくれた。

それから東京にいる元生徒であり友達。

みんなありがとう。

 

展覧会作品画像は、展示終了後、 Exhibition Works と Works に載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

6月

22日

eternally

大学仲間の結婚式。

りんた、弓おめでとう。19歳だった林太郎。KOSHIKI ART PROJECT代表。

たくさん一緒にいました。たくさん側で支えてもらいました。

 

 

 

 

そして、その仲間たち。絵描き、アーティスト、デザイナー、その他。

それぞれの道を進み続けていることに励まされた。

本当に見えないものに向かってただただ無我夢中に進んできた学生時代と卒業後。

それぞれの道が開けてきたことを感じて嬉しかった。

創りつづけてきた証拠。やり続けてきた証拠。

ただ創り出すことが好きでたまらない人たち。

10年後がますます楽しみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

6月

10日

エンククイ opening party

 

 

entkukuiの個展のopening partyします。

15日19:30-ある程度の時間まで。

16日19:30-20:30

 

みなさんに会えるの楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日東京に搬送しました。新作9点。

作品梱包したり運んだりしてると、これ普通の女の子には無理だな、といつも思う。

でも、一応は、なんだってやろうと思えばできるし、やりたい!って思う。

絵描き?芸術家?アーティスト?どの肩書きもいつもしっくりこない、

けれどそれらってパワフル。

 

 

 

 

 

たる木切って木枠つくって、綿布張って、バンド水塗って、ジェッソ塗って、手のひらに青あざ出来て、描いて、描くだけじゃないことして、運んで、釘打って、ドライバー使って、展示して、DMデザインして、名刺つくって、壁ペンキ塗って、おかげで高いところも平気だし、重い物も持てるし、デザインも勉強してないけれど自分の好きにやってる。

できるだけ出来ることは自分でやって体に染み込ます。

無理かもと思ったことも人に託さずとりあえずやってみる。

自分の手でやることが、一番実感するから。

やったことは、苦しくても苦しかった分だけ、何百倍もの喜びに変わるから。

その経験が、これから起こる苦しいこともきっとそうなると信じて進めるから。

 

 

選択肢は、苦しく未知で怖い方を選ぶ。

楽な方は、もう私が知り得ていること。

わかっていることを繰り返しても道は切り開けない。

絵も同じ。挑戦。創造と破壊の繰り返し。

 

 

 

 

 

描くことには、その実感が最大にある。

パソコンを使った仕事は、人に頼っている感覚がある。画面に色を置く行為も。

このパソコンが壊れたら、私はパソコンのせいにする。出力したときの色の違いもどこかのせいにする。

でも、絵が駄目なら、私のせいだ。全部私のせいだ。

大きな機械であっさりできる物より、自分でノコギリや小さな機械で切った物に喜びを感じる。

大量生産よりも、世界にたった1枚の絵がいい。

 

 

 

 

 

 

絵の具がなくても、水と土だって描ける。足だって描ける。地面にだって描ける。

それすら無理なら、紙を破ったり、何かで形をつくるのもいい。気持ちがあれば生むことができる。

私が創る。何もかも私の好きにする。そこに芸術はある。

無意味なものが、とても大切だったりする。

 

 

 

 

 

 

たくさんの絵が消えた部屋。

落ちた絵の具が、床をまた新しくした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

5月

31日

NAGANO ART FILE 2010  (naf.=ナフ)

 

 

長野でのグループ展に参加することになりました。

6月は展覧会が3つ重なり、こちらでの作品は新作とはいかなかったのですが、油と紙作品2点出品します。

ARTSPACE FLATFILEは額縁のオーダーメイドもやっているそうなので、今回の作品は額と作品の合わせ方にこだわりました。

油絵も額に入れて遊んでみました!満足!!

うわっと驚かせてあげます。から、どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

今、家では、エンククイのための「心臓」描いてます。今日完成予定。

7月の誕生日以降からカバラ占術によれば数十年に1度の運気だそうで。

今は、何にも言葉というものが出てこないので、3つの展覧会がすべて始まって、またかきます。

最近、見えているラインを捨てました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長野在住のアーティスト展 NAGANO ART FILE 2010(naf.=ナフ)

 

6/4(金)~27(日)

営業日:金・土・日(10:00-18:00)

場所:アートスペース FLAT FILE

 

オープニングパーティー:6/5(土)5:00~8:00

 

参加アーティスト

Abnormal system、arais、Biondy Chopper、KOHKI、石川宗男、内山温那、岡沢じゅん、小笠原勝之、勝山ゆかこ、木村仁、小池マサヒサ、越ちひろ、小林愛枝、小林野々子、島田恵子、清水隆史、須藤友丹、たかはしびわ、田中克樹、なかむらじん、中村眞美子、朴再英、広瀬毅、モリヤコウジ、渡辺祥子

 

2010年

5月

20日

Moleskine

Moleskine。

ゴッホやピカソやヘミングウェイらに愛されたノートブック。

 

 

Moleskineのサイトに私のNote Bookが載りました。

 

 

2010.5.19  越ちひろの“瞬間”のためにモレスキン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

5月

13日

[death of consciousness]art&bar [entkukui]

2010年6月15日(火)-6月30日(水)

 

art&bar [entkukui]

エンククイ

東京都渋谷区恵比寿1-8-7三恵8ビル1F

http://entkukui.jp/

 

営業時間

月-木:19:30-2:00

  金:19:30-5:00

土・日:19:30-0:00

 

展示会場art & bar [entkukui]は、バーです。
ご来場頂いた方にも、お飲み物のご注文をお願いしております。

 

定休日

祝日(臨時休業あり)

tel:090-2522-0991

 

 

 

 

今日までか、昨日までかの15日間だかは、

まるで1ヶ月ぐらいが過ぎてしまったかのような長い長い15日だった。

 

 

 

そう感じるのに、その15日間をよく覚えていない。

覚えていないというよりは、記憶のどれが夢で、どれが現実で、何がうそで、何が本物なのか、

わからなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

月曜から、15日ぶりに絵を描く。

絵を描いている時間は、アトリエが宇宙に浮くたった1つの部屋のように感じる。

それでいて、床につく身体からは、地球の大地を感じる。

立っている時も、座っている時も、

疲れてバタンと仰向けになったときも

床につくすべての身体からそれを感じる。

 

 

 

 

 

mistの作品を制作した時は、

大抵8時には起きて、朝ご飯を食べた後、そのまま台所でコーヒーを飲みながら、

2時間、ノートや携帯やらとぼーっとする。

 

そこで、よし!と感じたら、部屋にこもる。

眠くなった時は絵の下で寝る。

今日はここまで、

と感じるのが、夕方5時から7時半。

夜は気分が乗らなきゃ、お酒を飲んで寝る。

 

音楽は、Jazzin' park のJoyやcopyright feat. song willamsomのHe is。

Kyteのsunlignt。

それに飽きたら、J-popやフジ子・ヘミングのピアノなんかもいい。

 

孤独や寂しさを感じると絵が深みを増す。

 

 

 

 

 

描く日々は、描く時間は、  

私の役割がある。

幻覚や夢みたいな中のリアルの下にいる。

幻覚の下で、どっしり地に足がついていることを感じる。

 

 

 

 

 

 

月曜日からは、絶望する瞬間が待っている。

涙が出そうなほど嬉しい瞬間もまたあるだろうか。

まだ私の知らない私がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年

1月

16日

バイバイ



いつも感じてる。
いつも思ってる。

2016年

10月

17日

花火




また来年も見たいな。

なんだか感覚的に、大好きな土地ができた。




2016年

4月

07日

高校生の私

高校生の時、こんなことを言ったらしい。

京都の美容室カナットのブログより。
友達が書いたもの。

2016年

1月

11日

絵を描くためのエネルギー

最近は絵を描くために


極力無駄なエネルギーを使わないようにしてる


それから余計なストレスや心配を極力排除しようとしてる


それじゃないと毎日描けない




心ない人やお金の事だけを考える人や



無神経な人や愛のない人や誠意のない人は



いつもだったら流せるところを



気が張っていて精神が尖っていて心が敏感で、感じてしまい過ぎて、不安定になるから



全部避けようとしている。




自分の世界を守っている




今、山を登っている



高い高い山。



楽しいかと聞かれたら楽しいとかじゃないと言う。



幸せ?と聞かれたら、普通の女性の幸せが欲しいなと言う。



けれど



頂上からの景色を見たくて。



それを見るために登り続けている



前に前に一歩一歩。




何にも変えられない忘れられない景色と、それを越えるだろうまだ見ぬ景色がどうしても見たいから。




その景色がきっと私に生きる意義と喜びをくれるから。





私の目や皮膚や感覚や心が




あなたであるように。










2015年

9月

10日

wonder



最近は本当に目が回るほど。
個展の新作と、準備と、打ち合わせと、依頼の仕事と。
考えることとやることばかり。



たまに精神的にきちゃったりもするんだけど、




やっぱり幸せだ。





新作2点目に突入。






ワンダーって言葉が頭でぐるぐる言い出した。





アートって、人生捨てたもんじゃないよねって瞬間をくれる。




作品見て、わぉー!
すごいー!!



ってなってくれたら、本望。




目の前のキラキラ、私の絵、




ワンダーだ。













2015年

7月

29日

peace around the world


今まで好きだったミュージシャンと

最近好きになったダンサーと


私がずっと思い描いてたアートを通してすべきこと


がやっと重なった。

同じ思いだということに気がついた。

だから好きなんだと気がついた。

それは私の根本に重要にしたいことであった。




平和の上にしかアートは成り立たない。


アートは平和の象徴です。


もっと思い強くぶつかって行こう




優しい心。人と人を繋ぐ絵。




だから世界と戦いたいのね。







2015年

7月

29日



全ては愛。愛されたいし、愛せる人でいたい。

2015年

7月

29日

絵を



 好きとか嫌いとかじゃない全てですね。

2015年

4月

28日

遅めの豊かな春


2015年

4月

19日

teamC

2016年3月から5月に開催する
サントミューゼ上田市立美術館での越ちひろ展


昨日は学芸員瀬川さんと共催SBCテレビの関さん、展覧会にむけて映像や写真撮って下さってる西片さん、の家で、
グラマラスでのメンバーチームグラマラスが、展覧会にむけてteamCとして結成。



みなさん、ありがとう。
良い展覧会にします。
よろしくお願いします。




2015年

4月

06日

ありがとう




いつも変わらずにいてくれて



本当にありがとう



と思った。





2015年

4月

05日






春には春みたいな絵を

そんな壁画になった



今日は光の中心を触ってきた


2015年

2月

20日

なくても




なくてもいい。

でもあるとないじゃ全然、全然、全然、違う。
というものをつくる。


ちょっと違うよね、じゃ終わらせない。




絶対。
いつも。






そしていつの間にか
私に巻き込まれて


君は抜け出せなくなるのだ。





2015年

1月

31日

カケラ




才能なんてこれっぽっちもない




あるのは描き続けてきた中で




少しずつ積み上がってきた




星屑みたいな砂みたいなカケラみたいなもの







2015年

1月

31日




私ってどうしてこうも不安定な人間なんだろう


心配性で怖がりで
緊張しいで



良く言ったら繊細
悪く言ったら上の言葉通り




だから、精一杯自信をもって
立っていられるように
絵を描き続けて
嘘なく私が凛々しく立てるように
向き合うのだと思います



本当は弱いのね

だから

強くいたいと必死なんだな。










2015年

1月

30日

阿修羅のジュエリー





最近は、気分転換、インプットの時間を多く取り入れて、ゆっくりアウトプットしてる。


絵を描いて寝る前に時間がある時は
本を読む。


今日からはこれ。


阿修羅ってすごくカラフルな極彩色だったんだって。
そのジュエリーについて。
ジュエリーは、いのちといのりの装飾であり輝く光。
この本に
人間には輝く光を想像し表現する力がある。
というようなことが書いてある。



私は光を描いてる。
とある時に、妹に言われて気がついた。


そして、神々は暗い色たちの世界でなく、
極彩色の世界にいるんだってことは
描いてきたこと
描いていくことが
すっと繋がっていく。



宇宙の波長とあうようになってくると
出会う物事が
シンクロしてくるね






2015年

1月

24日

匂い



いい匂い



優しい匂い



記憶の中で匂いが優しく愛しくなる



いつまで続くかな

2015年

1月

24日

続けること



描き続けること。



続けるって、
才能でもなんでもない。




続けるって、その人の強い力。精神力。


本気じゃないとできない。


好きじゃないとできない。


好きになれないとできない。


覚悟がないとできない。



何かを犠牲にしても進まないといけない。




でも続けてるからこそ見えてくる輝く世界を知ってるんだよね。



命の輝き。













2015年

1月

06日

自由






nuki集団新年会@そば八
3つ目くらいの壁画場所。


nuki集団は、建築家、レザーデザイナー、料理人、画家、写真家、インテリアデザイナー、DJなどの集まった集団。
とは言っても、自然に集まった仲間たちで、みんなで1つになってなんかできちゃうよね、って話。



昨日は思いがけずの仲間の言葉に涙した。


ありがとう。





今年のテーマは"自由""freedom"



いつだって、どんな時も



私たちは、自由だよ。




進みたいように進める。






2015年

1月

02日

strawberry




ストロベリーって1年に1回くらいしか食べない



でもかわいいから好き









2015年

1月

02日

Happy New Year 2015




あけましておめでとうございます。




変化し挑戦し

自分にとって予測できないほどの

ステップアップした年に

今年もなればいいなと思います




そしてもう一つ

今年は絶対のものがあるんです

それは秘密。






2014年

12月

25日

クリスマス



今年のクリスマスには
大きな壁画の仕事の打ち合わせをもらった。


頑張ってきたご褒美。



でもサンタクロースはこなかった。



プレゼントは自分で掴みにいった。









2014年

12月

20日

2014年




私にとって2014年は、振り返れば今までやってきたことが安定した年だったかもな。


その安定が、"安定"しないように
質を高めた。


質を高めるために行動した。


誰にも真似できないところまで
登ろうと決めた。
それは地位や名誉でなく
絵が。


それは私らしく、私のやり方で、
という個の話。
一つのアートの形として。



来年は、その質が花開いて、もう一歩二歩、三歩と進めそう。



大きな仕事は、2月インドの壁画から始まり、12月東京の壁画で終わりをしめた。



安定は、してきたことを
言葉にしてもくれた。
ゼロだったこと、やっと自信を持って、はっきり言えるようになってきた。



越ちひろという、たった1つのアートの形。










2014年

12月

17日

期待





良くも悪くも、人に期待しなくなった。
過度な期待を。

見返りを求める心を捨てた。

そうしたら楽になった。


絵を描いてると、形のないゼロから
1人で完成させることが当たり前で

どうも人に何かをお願いしてやってもらうのが苦手。

ある時期から私は何のせいにもしなくなった

人のせいにも
社会のせいにも
環境のせいにも


今起こってる物事は
全部私のせい
と思うようになった。



昔よりも質のいいものを出すプライドが増して
今が1番でいたいから、挑戦していくと
益々時間がかかるようになってきた壁画。


闘うものは己だと。






チラナイサクラ/御徒町 らーめん横丁
チラナイサクラ/御徒町 らーめん横丁

2014年

10月

06日

deadlock



行き詰まりって
いつの時もある


続けていれば
何度もある


良いも悪いも
必ずある


私に出来ることは


愛をもって描くこと。
今、目の前の絵を1番良くしようとすること。



愛をもって描くことが
できないなら
描かない。








2014年

10月

05日

春にむけて



花が咲く春にむけて
私はこれから秋の紅葉が落ち、
冬の季節の到来と共に
土の中で
花が咲く準備をする



それは
長い冬にぐっと耐える
精神力と向かう時なのだと思う




春に大きな2つのことを
発表できるように
土の中で
できる限りのことをする


絶対にそういう春を迎える










余白は空間で
私は世界に花を生けるように
絵を描いている





どんなところも世界はキャンバスなんだ。





2014年

10月

04日

good kiss good night




見返りを求めずに
自分から愛を与える人になりたい。



そういう深さがある人になりたい。



今日からは
人と比べることを
昨日より
しない自分になる。



今日からは
愚痴や陰口を
昨日より
吐かない自分にする。





good kiss good night 

2014年

10月

01日

ご報告







この度、皆様のお陰をもちまして、10月1日より株式会社アプレと一部の活動を業務提携することとなりました。
今後、益々仕事の幅を広げ、活動していきたいと思っております。
引き続き、今と変わらぬご愛顧のほどよろしくお願い致します。






平成26年10月吉日
越  ちひろ

2014年

6月

20日

colors

2014年

6月

11日

成長





日々、人が予測できないほどの成長が
できる人って



苦労できる人
努力できる人
継続できる人
次を見据える人
そのための行動ができる人



好きなことをしてる人
あるいは
何かのために闘う人





だと思う。

2014年

6月

08日

祇園祭での制作お手伝いのお願い






7月13日(日)の長野祇園祭にて、10時から14時まで行う、大きなプロジェクトの企画手伝いを任されました。



アゲイン前あたりから善光寺に向かい、片道道路、約50mから100mを使い、15色のカラーチョーク(600本以上を用意予定)を使って、お祭り来場者子供たちと参加型の1日限りの巨大な長い作品を、道路にチョークで描き制作します。テーマは私の街長野(仮タイトル)です。



たくさんの木々に囲まれた絵にしたいなと思っています。
当日は、テレビ局などの取材や、制作状況、作品を、上から写真や映像で記録を考えています。



しかし、作品がかなり巨大なため、10時からは各範囲の見本となる制作を、ある程度人が行き来し始めたら、子供たちを誘導し、子供たち、私と一緒に制作してもらえないでしょうか。



私が今まで出会わせてもらった高校生、専門学生、予備校生、大学生などに声をかけさせてもらってます。私と直接面識ないけれど協力してくれる!なんて人も大歓迎です。


私1人の力では創れない素晴らしいものを、みんなと一緒に創れたらとても嬉しく思います。よい絵を一緒に描きましょう!!

おまけ:一緒に絵を描くと言葉を交わすより仲良くなれます。



協力してくれる方いたら、このホームページコンタクトから連絡下さい。


よろしくお願いします。


................................
ながの祇園祭
7/13(日)10:00-14:00
(9:30くらいにアゲインあたりに集合してもらえると助かります)
15:00くらいには作品を水で流します。
場所:アゲイン前道路 片道50mから100m








2014年

6月

05日






覚悟を決めた目がある。






そういう目が好き。









何もかもを破壊するような
鋭い野性的な
そして純粋な
瞳。
 




曇りなき
透きとおる
目。















2014年

6月

05日

NY




私が今まで訪れた国や都市で好きな場所ベスト3に入る都市ニューヨーク。



そして、インド、タイ、スペイン。


マレーシア、ベトナムも好き。




国や都市が好きというのは
その国や都市や街をつくる
人々とその文化が好き


ということ。



建築物、料理、カルチャー、ファッション、伝統、笑顔、香り、人。

 


私が好きという時は、
いつもその背景に
人がいる。





NYには
そういう人々との思い出がたくさんある。




ギタリストの吉田次郎さんもその1人。



ホテルの最上階で、
マンハッタンの夜景を見ながら
次郎さんがグランドピアノを弾いてくれた。


観客は私1人。


そしたら、友達になったお医者さんのカールがきて。



カールには、メトロポリタン美術館のアレキサンダーマックィーンの企画展に連れてってもらった。



それがきっかけでマックィーンは、私の偉大なアーティストベスト3に入る人になった。



その時にカールは、VIPで美術館に入れてくれて、美術館の中でもマイクで電話していた。
いったいこの人何者よ。と思っていたら、
これもまた、ニューヨークで仲良くなったノリさんが、
電話で手術の指示を出してるんだよ
と教えてくれた。
そんな世界って!




ニューヨークの小さなギャラリーでグループ展して、
ギャラリーを巡って、
私のポストカードを渡しまくった。





ニューヨークの街は
気を緩めると
何もかもを巻き込んでいく
パワーを持っていた。




だからのみ込まれないように必死だった。




また行きたい。


もっと大きなもの掴みに。













2014年

5月

28日

存在感と求心力



月曜日に長野美術専門学校で、丸一日、特別授業の講師をやらせてもらった。



学生や子供たちとの時間は
私が大切にしている活動の一つ。




いろいろな思いが後から出てきて
それを伝える役目に
反省もあり。





好きだという気持ち
好きだからしているという気持ち
を忘れないこと。




これが大切で。
それを感じてもらうことも大切で。







相澤先生が、改めて越さんの存在感と求心力に感動したと言ってくれた。









学生が作ってくれた!
学生が作ってくれた!

2014年

5月

23日

ダンス



爽やかな風のような
一本の映画を見ているような



ダンスを見た。




彼女は映像の中で、
ダンスでずっと昔からお金をもらってるし、仕事と捉えたことはなくて、
人生そのもの


みたいなことを言っていた。




初めて
彼女のダンスを見た時に
彼女の人生そのもの!!
と思った。





生きることのいろいろが見えた。




自分で口にしたことを
自分のしたいことで
感じさせる人って
魂に近いところで
向き合ってる人だと思う。



















2014年

5月

18日

美しい日





今日は、絵に差し込む日の光があまりにもきれいで、私の絵が森の中みたいになってきて、
私は森の中の木漏れ日の下にいるようで、






筆を走らせながら、
涙が出た。









新緑のシャンデリア。


















まだ途中。
まだ途中。

2014年

5月

17日

音像

音像:
オーディオ装置で音楽等を再生した場合に、楽器や声が、その場所にあたかも姿、形が見えるように再現される、その様子を表す言葉。感覚上の音源。立体音響の再生に利用。

---------------






"音像には、3つの要素を感じる。
色彩、情景、温度だ!君の絵にもね!ちひろ君!
俺のドラムは幸せもんだぜ!"





と、本を出す時に、村上ポンタ秀一ことポンタさんに言葉をもらった。






私も音楽と絵のことって比べたり、重ねたり、よくする。




絵は聴くもの。音楽は観るもの。




って感じが1番するかな。






絵は見ない。
音楽も聞かない。





覗く。
深いところを。







だから、絵は、絵の声を音をきく。
表面の絵の具成り立ちや、描かれた意味や理由だけみてたらつまんない。






音楽は、逆。







それが感じるってことだと思う。








あと、ポンタさんに言われて嬉しかった言葉は、





"貴方の絵は俺の心の深いところに
温かいランプみたいなあかりを灯すんだよね。"






って言葉。


















2014年

5月

15日

運命は切り開くもの


大学時代、付き合っていた彼氏が
未来を夢で見れる人だった。



だから、夢の中で起こったことが現実になる度に抵抗するんだって。
例えば、左の道に行ったから、現実世界では右の道を選択してみる。とか。



でも、その後に見える世界は同じなんだよね。
だから、運命は変わらないよ。


と言われたことがある。







あれから10年。
私は、運命は少しの小さな選択によって変わっていくものだと思えてる。




私が挑戦するいばらの道を今選ぶ。
こちらの方が明るい未来に向かえるって思う努力の道を選ぶ。
大切な人を今、大切にする。
絶対に妥協しない。
鋭い勘を働かせる。
準備をする。
そういう小さな積み重ねが、
私の運命を大きく変えている気がする。





ここ数年は、自分でも驚くほど
素晴らしい出会いや機会が増えてきて、
1年前は全く想像してなかった1年に気がつくと毎年なっていってる。
でもスピードが足りない。




だから加速する。




よりパワーを増して加速していく。
高いところを目指して。



そうやって、自分の運命は自分で切り開く自分になる。














2014年

5月

08日

春には春の香りを





春には春の香りのする絵が描けたとしたら
それは
"感じて生きている"
ということかもしれない。




いつも強がって
寂しくて
寂しがりやで
孤独感に押しつぶされそうで
いつもひとり



そうやって絵とぶつかって




私はその絵から
できるだけたくさんの人たちに
愛と生を捧げることが役割であり役目
だと思っている。





必ず素晴らしい景色をみせる
ってまだ見ぬどこかの誰かまでにも約束する。





けれど、お風呂に入ったりすると
ひとりぽつんと
孤独に押しつぶされそうになる。




私は本当は
強がってる私の背中を押してくれる
たったひとつの愛されることが
ほしいのだと思う。






明日から歌舞伎町で壁画。















2014年

5月

05日

考えたりしないで










What do you say we forget thinking and follow our hearts. 












2014年

5月

05日

好きという全て





今年34歳。
人生の半分以上、絵と生きてる。



人生をかけて、向き合おうと決めた中学3年の時、本格的に向き合い始めた高校1年生。




それからずっと1番に考えてきた。






なぜ進み続けるのか、
趣味にしないのか、
やめないのか、








それは絵を描くことが心から好きだから。








これが全て。









今日、北島康介さんのプロフェッショナルの番組を見た。




300日追いかけた1時間番組の中で




彼は孤独と闘いながら、
水泳を続ける理由を




私は水泳が本当に心から好きなんだ。
と、思えた。



そしたら番組の最後に、
いろいろな複雑な言葉ではなく、



水泳が好きだ。




と一言あった。







好きだという気持ちが1番強いパワーだと思う。





愛にはいろいろなものが溢れる。




言葉にはうまくならないもの。




苦しさにも打ち勝つパワー。






私の絵も、好きなんだというたった一つのその全てが
もし絵に表れているとしたら、




その気持ちは、言葉で吐くよりも強い"好き"なんだと思う。










気がつくと、一枚の絵が終わると、なんでもない日常の隙間に、
次はどう進化すべきかを
どうすれば次にまた上がれるかを
考えている私がいる。



















2014年

5月

04日

何がとどんな




前のブログのまとめ



なにが描いてあるかの
"何が"(表面的なもの)は
誰にでも描けるけれど、



絵の内面から出る、
その絵が放つ印象の深みや輝きや絵の強さ優しさ儚さ醜さ弱さや愛や情熱のような感覚的なものは誰にでも描けるものじゃない。




求めて出るものでないとしても、
それを知る目と感覚を持って求めないとでてこない。





2014年

5月

04日

美しい絵





絵は正直者だから



本当に美しい絵は、心が美しい人にしか描けない。
純粋な絵は、心が純粋な人。
華やかな絵は、華やかな人。
強い絵は、強い人。
儚い絵は、自分を出しきった証拠。命の儚さ。1人の個。


優しい絵は、優しい人。
子供の純粋さをもつ絵は、少年のような人。





何が描いてあるという内容ではなくて、
その絵が放つ印象のこと。
それが絵の内面。



"何が"は誰にでも描けるけれど、
内面から出る輝きは
誰にでも描けるものじゃない。




私は、全部でありたいな。
醜さも抱え、それでも色とりどり、強く優しく儚く、生きている。












2014年

5月

02日

ひとつ






言葉のない絵




絵との対話。




昨日はぶっ通し休憩なしの9時間半。




ずっとお話してるんだね。





今日は春の宇宙ができた。











2014年

5月

01日

ゼロからイチ




孤独感って消えるのかな。




月に4つも5つも産みだすために
ぶつかり続ける




走っている時は
後ろも振り返らずに
もう一歩前にでようと必死に走るから
夢中すぎて
よくわからない



それでいて、休みは嫌い。
怖いから。




長距離マラソンのゴールは
あるのかなぁ





強がってないと立っていられない時があった。
今でもそう。
前よりは少し楽になったのかな。




でもいつも怖い。



でも進む。




いつも苦しさの倍、喜びがくると信じて進む。





絵はつくづく子供みたいなものだと思う。



















2014年

4月

29日

焦がれる




My painting Drums! (Shuichi "Ponta" Murakami's original)





自分が描いたものなのに
憧れにも似た感情がある




どこかで目にすると
心が締め付けられる





半年かけた情熱
とても苦しかった
とても楽しかった。




一つ終わると新しい無の太鼓がまた一つ
目の前に立ちはだかる
14個の太鼓が怖かった





エネルギーを低下させないように
イメージが限界をむかえないように
ぶつかり続けた。





ポンタさんのエネルギーに負けないように
セッションしたんだろうな





またポンタさんのドラムに描きたい。
またいいものできると思うんだ。




今度は深い赤いやつ。
身体を駆け巡る血液がどくどくいってそうなやつ。





















村上ポンタ秀一 オリジナルドラム (Painting /Chihiro Koshi)
村上ポンタ秀一 オリジナルドラム (Painting /Chihiro Koshi)

2014年

4月

23日

小さな友達





私のファンでいてくれたり、私を好きって言ってくれる
私より年下の子達が
3歳くらいから20代まで幅広くいてくれて、




絵を買ってくれたり、
手紙をくれたり、
プレゼントをくれたり
会いにきてくれたりしてくれる。





1度一緒に絵を描けば
言葉はいらない。




1度笑いあえれば
もう仲良し。





美術の道を進む子は私の影響なんかが
絵の中に見えて
なんだか嬉しくなる。





幸せが伝染するみたいに
広がっていくといいな。






大切な譲れない深いものが。
次はあなたからあなたへ。














*そういえば、今思い出したけど、多摩美を出た予備校の教え子が、1人のアーティストについて書く卒業論文に私を選んでくれた。嬉しい。





















2014年

4月

20日

トークショーの場






今年の終わり頃に、個展と合わせて、
アーティストトークの場を考えてます。



2008年に長野に帰ってきて、
2010年にスタートした壁画。
2011年からフリーランスになって、



ようやく自身の言葉がハッキリ明確になってきました。



そしてそれを話さなければいけない時がきた。
とくに学生や絵が好きな若い子たちに、大衆のみなさんに。




そんな風に何故か使命感を感じているのです。






私は役目や役割を感じて強く絵を描いています。






2014年

4月

19日

ピカソの言葉





"1枚の傑作を描くよりも、どういう人物であるか。"




とても大事。




そして今まで見たことないStyleの絵描きになる。





だから批判されっぱなし!





それでよいね。
当たり前。




































2014年

4月

18日

people around the world





2年前から始めた英会話レッスン。
半年くらいやる気を失い、また3月から再開。





今日165回目のレッスン終了。
少しづつだけど、前よりずっと世界が広がった。
そしてもっともっと広げたい。







先生によく、なんで英語を勉強しているの?って聞かれる。


2年前に私が英会話を始めた理由は、


世界に絵が出て行く準備。








でも、まだまだ全然話せない!!







tomorrow とかyesterday とかありますが、一応です笑。
tomorrow とかyesterday とかありますが、一応です笑。

2014年

4月

17日

完成という過程




たまに、途中の絵の方がよかった
って言われる。





でも、自分自身、途中の方がよかったと後悔したことはおそらく、学生時代に数回、
それ以来は、全くない。






どうしてこのことを今日考えているかというと、TVにマザーテレサのこの言葉が流れたから。



"神様はあなたに成功を望んではいません。
あなたが挑戦することを望んでいるのです。"







いくらでもやめることはできた。その時点だってよかった。
でもいつも、もう少し描いてみる。もっとよくなるように。
って思う。
"完成"までは。






挑戦、進む方が怖いのだ。失敗する可能性だってある。
けれど、その時点の"よい絵"、その世界まではもう私は見てきている。
次の世界を見たい。
って思う。







だからその絵が、途中の方がもしもよかったとしても、もう一歩行ってみようと道を開こうと進んでみたことの方がずっと大切。







だってまだまだ描いていくのだから。
縮こまらない。




これが大切。






その一枚にどうぶつかるかが、
未来の全部になる。



































2014年

4月

17日

君の絵じゃだめだね




って言葉を力に今までも今までもやっている。
たまにふと頭を過る言葉。



実際には直接言われたことのない言葉。





そう思われても
描き続ける
訴え続ける
という情熱や根性や涙に変わるような。





そういう言葉。














2014年

4月

16日

料理も絵も味も色も




センスと勘は大事かなと。




きっと全部同じなんだよね。




そういえば美大の仲間には料理の下手な人はいなかったなぁと。
私の親友の創作サラダは絶品だったし、
私もよく創作系の料理は作る。




イメージ、イメージ。
完成のイメージがあるかってことと、
それを
実際にやれるか


っていう2つなんだろうな。




でも、私は絵にだけは、
その自分のイメージを越えるものを
求めていく。






世の中も人も心も簡単には動かないから、
越えないといけない。
自分を越えられたかって問題。






人を驚かせたり動かすものって、そういうもので出来上がってるのだろうなと思う。














今日はアサリとキノコのスープパスタ。
今日はアサリとキノコのスープパスタ。




これを機に言っておきます。
私、料理できなさそうって100%の確率で言われますが、それはなんでだろうか笑。


料理なかなかいけると思います!












2014年

4月

15日

絵と絵の写真



いい絵は写真に収められたその絵がどんなに素敵でも


実際の本物が遥かによい。




いつも私の絵はそうでありたいと
思ってる。






だからいろいろな媒体を使って広めているけれど、

その最後には、



絵の前にただ立ってほしい。




専門的な知識は何にもいらない。
無理にわかろうとしなくても全然大丈夫。








こんな素晴らしい景色もあるのよって
新しい世界を
その時に
見せてあげる。





絶対見せるからって強く思って
向き合ってる。
















そうした時に、目の前のあなたは
好きか嫌いかを
ただ言えばいい。



























2014年

4月

14日

The first day




制作1日目。



3年くらい諦めていた要素が入った日。








最近の自分自身に大きな大きな変化を感じている。






















2014年

4月

14日

lone wolf





昔から何故か私は仲間が安定してくると
1人また違う場所を探して移動する




友達のことではなくて
絵を描く仲間や場所、居場所。
仕事仲間なんかもそうかもしれない。





親友でありライバルである仲間たちのいる東京からも1人離れ、
また長野では、どこか誰とも違う場所にいる気がする。
考えていることも、多分誰とも異なるだろうなとまた最近改めて思う。
東京の絵描き仲間とも全く違う。長野の仲間とも違う。
誰とも違うような気がする。






居心地のよい安定した居場所ができると
怖くなる。




自信があって、無敵で、
みんな同じ方向を向いていて。




その世界がまるで全てに見えてきて
本当が見えなくなりそうで
怖くなる。



動こうとしなくなる自分がいそうで怖くなる。






世界はどんどん変化していく。
そして、いつもその中で挑戦していきたい。





誰に左右されることなく、
私の目で判断しながら。







だから、群れをなさない。って強い言葉より、
群れることができない人間なんだろうなぁ。


















2014年

4月

13日

Rock'n roll




"越さんのライブを見て救われまして。まぁ人生を捨てようとしてたようなものなんですけど。
それ以来、行けるところにはできるだけ行って
あなたの絵を見ようと思ってるんです。"





その人にとって、
私はRock'n rollなんだって。






Rock'n roll!!





















2014年

4月

12日



たまに私のいろいろなものが私色に染まっていて、
自分でドキッとする。



撮った写真とか
集めたシールとか



一つでは何ともないものが
たくさん集まると私色になる



それを見ると嬉しくなる。




絵も、自分も。言葉も。収集したものも、好きなものも、考えも。
表現するもの全部で私なんだって改めて思える。



いつもやりたい放題、ぐちゃぐちゃ、めちゃくちゃで、変わってゆく私、柔軟になる私が、どこかずっと繋がっていることを確認できる瞬間でもある。



一つじゃ言えないことばかり。

 


それでいい。




そうそう、なんで最近マメにブログを更新しているかというと、
携帯からUPできるようになったのです。




どうも私はパソコンの前に座る時間が苦手。







2014年

4月

11日

20分の時間



色は明日に持ち越しと一瞬思ったけれど、最後まで描くことにした。
不安定な時は絵を描くのがいい。
絵のことで不安定なくせに絵を描くのがいい。



たった20分
されど20分。




描いてよかった。




なんだか優しい絵になった。
絵が笑ってた。





明日はまた新しいキャンバスに向かおう。



0時を過ぎて、今日は頑張ったよ私と自分に言う。
おやすみなさい。









2014年

4月

10日

いろいろなかたち




世の中に提出する量が多くなっていくと
人はそれぞれにそれにいろいろなことを言う




越ちひろの絵はもっとこうあるべきだ
依頼作品、仕事作品ばかりで
これは芸術じゃない
商業的
私のもっとこんな絵がみたい
アートとは違う
お金を稼ぐためのツール
わがままな絵がみたい
これは本当の絵じゃない
越ちひろの絵じゃない
ピンクを押していけ
壁画はアートにはなりえない
これは違うんじゃないかな
恋をした絵をみたい
と。







それなりにいろいろ言われると辛い。
でも挫けない強さもあって、譲らない何かがあって、



それはただの頑固なのか。
自分の強さなのか、




自分でもわからない。




自分でもわからないけれど、




進むしかない。




あと何年私は生きるのか。その間にどのくらいのものを世の中に残せるか。質のあるものをできるだけたくさん。パワーを低下せずに、より増して、スピード。スピード。
立ち止まってる時間はない。




まだまだ挑戦、まだまだ一歩、
言いたい人には言わせとけー
と思いながら、なかなかへこんでる私もいて、なんだかこのブログを書きながら笑えてきた。




目の前の画面にただ1人、闘うということは、孤独な対話なんだけれど、
それが繰り返し繰り返し私の前に立ちはだかるのだけれど、
それは私にたくさんの愛をくれる。
苦しさの倍以上。
どこか自分のしてることに強さと芯を持ち、それでいて柔軟に変化していく強さも大切だと思っている。




いろいろなことに私も絵もぶつかる。
それはこの時代に生ある限り当たり前。



そこで、どう進むか。


私にかかってる。



評価は後からついてくる。
もしかしたら大事な意見。
くだらない批判。


今は上手く、身体にバランスで吸収しながら、

それでも私は私の絵と進み挑戦する。




芸術だとかアートだとかこれはデザインだとかファッションだとか、
なんだってどっちだっていい。
私は絵を描くということを人生をかけた仕事に決めた。


そんな枠は越えてたくさんの素晴らしいものを出していきたい。


素晴らしいものとは、自己満足の世界で終わらずに、人を動かすものだと思っている。



そしてはっきり言えることは、
それがなんだとしても、
私は、私の提出する全ての絵に、
私が描いた絵だよと、
自信をもって世の中に出していく。
これからも、今までも、ずっと。





それが私の絵に対する、私の愛なのです。










2014年

4月

09日

アートで世界は変えられる







去年頂いた、ながの未来力大賞。
そのプレゼンで私が言った言葉。






佐蔵の壁画を撮りに来てくれた方が
写真付きのメールをくれた。








"『アートで世界は変えられる私は本気でそう思っている』越さんの言葉をふと思い出しました。"















2014年

3月

20日

私の絵のようなインド。インドのような絵。








今日、現像したフィルム写真が届いた。
すっごく待っていた。



フィルムカメラと一緒に国々を旅するのが好き。
フィルムの偶然性が好き。
柔らかさが好き。



そして、日本で開くこの瞬間が好き。


宝ものみたい。




時間とか瞬間とか偶然や必然や奇跡みたいなものを大切にしまった場所、フィルム。



絵を描くよりも、ずっとリラックスしたスケッチやドローイングみたいな行為。




写真は趣味。




絵は人生。





旅の中で、違う国で、出会った、まだ声も聴いていない人たちが、言葉の違う人たちが、私に笑顔をくれる瞬間が好き。




世界は、人生は、愛と喜びで溢れてる。





その瞬間に、そう思えるから。












2014年

3月

12日

明るい未来


震災から3年。この3年の間に、被災地に行く機会が2度あった。



去年は気仙沼でライブペインティングをやらせてもらって。
仮設住宅で営業する居酒屋さんの机や椅子は使えるものを掻き集めただろうものだった。海に近い場所はまだ何にもなかった。
私は壊れた堤防から朝、太陽を眺めて、その日に描くイメージを変更した。





気仙沼で、それでも前を向く
人や草や花や風に会いました。







20代の子たちと、また必ずここに絵を描きにくるからお互い成長して会おうと約束を交わした。



直接関わると、前を向く人々に、
悲しい映像や辛いストーリーなんかFacebookやTwitterには流せない。


十分わかってる。
だから前を向いてる。


気仙沼に上がった3本の光。



私もまた笑顔で会いに行く。




2011年、芸術の役割を問い、自分の無力さを感じ、私はまた絵を描くことと向き合いました。その中で、絵しか描けない。これしかできない。って言葉は吐かないって決めた。


私たちはどこでだって何だってできる。














2014年

3月

11日

インド行きの空

 

 

 

 

私のこの絵はインドに行く空でした。

 

 

 

その空そのものだった。

 

 

 

あまりにもそのままだったので

友達に言葉なしにこの写真を送ったら

"この絵は空だったんだね"

って言ってくれた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年

2月

14日

流行を根源的に動かす




 
 
 
絵は誰にでも描けます。
しかし、私が追い求める芸術は、いつでも時代を越えた芸術、1世紀先の流行です。何処かで見たことあるような絵で満足したり作られた道を通るだけではいけないのです。
rule(ルール)を破りtradition(伝統) を繋げる。
そして、それは人を恍惚とさせるエネルギーをもち、湿り気なく、時代を切り開く強さを持っていなくてはいけない。
ですから、感覚に敏感であることが大切です。それを察知する勘が必要なのです。
 
 
 
岡本太郎さんもこう言ってます。
ほんとうの芸術は、時代の要求にマッチした流行の要素をもっていると同時に、じつは流行をつきぬけ、流行の外に出るものです。しかも、それがまた新しい流行をつくっていくわけで、じっさいに流行を根源的に動かしていくのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2013年

11月

03日

大儀見元さんの太鼓に私の跡







甲府 桜座でのライブで、元さんの太鼓にペイントを飛ばした。(本人のご希望により)

大事な大事な一番近くにいるだろう太鼓に、私を受け入れてくれたことがとても嬉しい。

 

 

 

 

大儀見元さんプロフィール

http://genogimi.blogspot.jp/

 

 

 

 

2013年

7月

27日

ハワイの匂い




   



 

去年9月に行ったハワイで、100頭くらいのイルカと海の神様ウミガメと泳いで、You are lucky girl!!って言われた。懐かしいな。

旅が好きだ。

 

 

ハワイの地でこんな仕事がしたい!って思ったことが、ハワイアンレストランTIKIの壁に実現する。

 

 

 

11月にはバリ島に行ってライブペインティングしたり、子供たちとワークショップするつもり。

8月は気仙沼。10月は大儀見元さんと大口純一郎さんと甲府。

 

 

 

少しずつ、長野から出始めた。

名前も住んでいる国も知らない人が、携帯の待ち受けにしてくれたり。

なんだか不思議。

 

 

 

 

 

 

2013年

7月

07日

恍惚と孤独と海の青。ラピスラズリの華、それを囲む光

 

 

 

 

 

 

ここ何年かの自分の表現への向かい方を一言で言うと、

 

 


正直に表現すること
恍惚とした唯一無二の
新しいものをみせること

それは完全な清らかさをもち純粋であること

 

 

 

 

そんな気がする。

 

 


スタイルとか作風って、こうしようってするものではなくて
気がついたら後ろにあるもの。
けれど私は、自分のスタイルに自分が束縛されるのを嫌う。

 

 


最近、越さんの絵って本当に越さんみたいだねって言われた。

 

私はずっと変わらないねって言われた。

 

 

 

変化に変化していく柔軟さと、
ずっと変わらない深いところが必要なんだ。

 

 

 


私は私の絶対を、疑う。
可能性はそれ以外の場所に山ほどある。

 

 


自分で道を見つけたり、細い道でも歩きながら作ったり、そこでたくさんの色とりどりの人と出会ったり、

そんなことをして私らしく挑戦していきたい。

 

 


好きなことを仕事にする覚悟を中学3年生の時にした。


情熱は足りているかってこと。


まだまだ一歩。

 

 

 

 

好きな言葉って聞かれてもずっとなかったのだけれど、

最近見つけた。

 

 

唯一無二。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

2013年

3月

06日

絵画教室はじめます。

 

2013年4月から長野市の五分一カルチャーセンターで、月2回の絵画教室をはじめます。

もともと、父がクラシックギターを教えている場所で、私も始めることになりました。

 

 

フリーランスのペインターになって3年目。

また新しいことをスタートしてみようと思います。

 

 

 

とはいっても、絵は教えるものじゃない。

そう思っています。

 

 

 

専門的な技術ではなく、こどもたちの想像力を伸ばすこと、それを表現できるようになることをコンセプトに、自分らしくできたらなと。

 

それで、対象は小学生にしました。  一般コースはおまけです。

 

 

 

 

長野に拠点を移してからは6年、美大進学予備校の講師をする中で、ワークショップの中で、イベントの中で、

私のたった一言で

たった一つのアドバイスから

描く背中から

表現できたそのものに笑顔になるこどもたちの姿をたくさん見ました。

 

 

同じ目線に立って夢中になっていたら、いつの間にか子供たちといる時間が好きになっていました。 

 

 

 

 

その中で、私がずっと守り続けてきたことがあります。

それは、なんでもやらせること。

自分で決めさせることです。

どんな小さなことでも手をかさずにやってきました。

 

 

もう一つは、大人たちが一般に思う色のにごりや絵の出来を

決めつけないことです。

 

 

服が絵の具だらけになってもいいじゃないか服なんてと、言ってきました。

 

 

ゴミと芸術も紙一重、汚いと美しいも紙一重です。 

 

 

 

 

はさみを持ってくること、紙を用意すること、片付けること、

何か言いたいことをいうこと、

色を選ぶこと、

やるかやらないか、

 

 

答えは自分の中にあること。

 

 

それは

自分と向き合うこと

自分を知ること 

人任せにしないこと

できなかったときに誰かのせいにしないこと

友達の作品に愛を見れること

 

人の気持ちを想像できる子に

愛や夢を抱ける子に

 

 

 

それが

想像すること。

表現すること。

 

 

 

そう思うのです。 

 

 

 

 

今年は、絵画教室以外にも、高校生や子供たちとの関わりが増えそうな年です。

 

教室はゆったりできたらなと思います。

海外に出かけたりなどの時はお休みさせてもらったりすると思いますが、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

お問い合わせは直接カルチャーセンターにお願いいたします。

五分一カルチャーセンター

 

381-0034 長野市高田368-5

tel.026-262-1282

fax026-262-1283

2013年

2月

20日

たった一つ




私は、たった一つの

たった一人の私から生まれる

今日というたった一つの日の

その瞬間の刹那に

愛した

そのことや

ものや

その線を

愛する

 

 

そして私はいつも

世界にたった1枚のその絵を

その目の前に立つ

たった一人の人にむけたいと思う

 

その絵の前に立つたった一人の人が世界中にたくさんになればいいと思う

 

 

 

そして、私は多くのものではなく

たった一つの

私を愛する愛がほしい

 

 

いつも一つでいいんだよね

 

 

 

 

 

 

photo by Satoko Maeda
photo by Satoko Maeda

2013年

2月

18日

強く儚き優しい絵

 

昨日「越ちひろ展 強く儚き優しい絵」を無事に終えることができました。
2月の寒空の下、雪の舞う中、1078人の方にご来場いただきました。
 
 
 
私は毎日わずかでもと、会場の空気を確かめ、いらして下さる方にそっと寄り添えるよう、会場に行きました。
抱いている赤ちゃんに絵を見せる若い夫婦、会場を楽しそうに走り回る子供たち、たくさんの家族連れ、小学生にもらったラブレター、高校生の子たちからのライブペインティングの相談、何時間もいてくれたたくさんの方は20代から70代くらいまで年齢層は幅広く...て。絵をずっと見つめる背中、何度も来てくれた方、家族の知り合い、友人の家族やその恋人、県外から駆けつけてくれたたくさんの友人、同級生や先生、教え子、携わり協力してくれたさくさんの仲間やスタッフ、支えてくれた家族、ライブペインティングに涙する姿、服や顔に飛んだ絵の具に喜んだ顔、本を抱え来てくださった方、握った温かい手、温かいハグ、書いたサイン、お花やお菓子や手紙やワイン、足を運んでくれたたくさんのたくさんの愛する人たち。たくさんのたくさんの人たち。
 

 


またお返しするものができました。
あたたかい愛を走れる手と足にもらいました。

 


強く儚き優しい人間でいたいです。
いつも真っ直ぐ純粋にいたいです。
本当に大切なことはどんなときも守り、伝え続けたいです。

 


何度も何度も、ありがとうを。本当にありがとうございました。
そして、今までもこれからも絵を描くたった1人の小さな私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。


生きることは、描くことは、大切なものを丁寧に愛するということ。強さも弱さも醜さも美しさも憎しみや孤独や愛を抱え生きること。毎日の刹那に儚さとそれでも確かに存在する生を全うすること。




2013.2.18 愛を込めて

 

 

 

 

photo by Sambo
photo by Sambo

2013年

1月

19日

Painting is my love

painting is my love

 

この言葉を掲げ、まるごとあなたに捧げよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年

1月

08日

2012

A HAPPY NEW YEAR

 

 

明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願い致します。

 

 

昨年は、芸術の非力さと、それでも無力でない力、を実感した年であり、

自然の猛威を見せつけられ、ただただ、呆然と立ちつくし、

それでも復興へ向かう人間の、強さを感じた年であり、

 

 

原発とその放射能の見えない怖さの中で、子供達と日本の未来をどう守っていくのかを

考え始めた年でした。

 

 

芸術家として、は、私の中で、人間として、と同じです。

人間として、やるべきこと、できることは、

生きていたら、永遠になくなりはしない。

 

 

だから、私は、これしかできないって言葉だけは吐かないって、

去年、決めました。

私は、絵だけ描いてるわけにはいきません。

私は、絵を描くことだけしか、できなくはない。

 

 

そして、これからも、ずっとすっと絵を描いていたい。

 

 

今年は、重心を落として、進んでいきたいと思います。

そのことの、本当にあるべき姿。

そのことの、本当の意味。

表面の内側の奥の奥の奥にある。そのこと。

大事なこと。

大切なもの。

見えないもののリアリティを。

もう一度、見つめ直す。

 

答えのない世界で、正しいことなんて、何にもわからない世界で、

 

私の信じたり、信じたかったり、

進みたくて

進むべき

道を

一歩、一歩を大切に

まっすぐ進むこと。

 

 

描くことの素晴らしさは、

手間をかけることの大切さは、

絵は、

 

 

人と人の中にあり、

人の中にあり、

生きるもののなかにある。

 

 

ここに、返すものがある。

たくさん返すものがある。

 

 

 

 

 

 

 

2011年

12月

25日

White Christmas

 

 

 

yoruni yukiwo fundara beruga dokokade natta

kigashita

 

 

 

 

 

 

2011年

12月

14日

2011.12.14 宮城

 

 

18日の収益を楽器に換えて被災地の子供達に贈る、復興支援イベントのため、福島県を通って、宮城県山元町へ。

 

 

福島県に入ると、ガイガーカウンターが鳴る。

子供達が住めない場所に、子供達がいる。

まだ宮城は測定もされていない。

 

 

山元町。なんにもない。なんにもなかった。

 

 

大地にそれでも生えてくる、雑草を踏むことができなかった。

 

 

仙台市で、たくさんの涙をみて、涙した。

 

山元町で見た光景が、人々の涙と重なった。

 

 

ここにいる誰しもが、震災で愛する人を失っていた。

 

 

 

なんにもない大地から、津波と共にここに来たのだろう貝殻を一枚拾った。

忘れない。絶対に忘れない。

 

 

私には何ができるだろう。

ずっとずっと、私には何ができるだろう。

 

 

 

これしかできないって言葉は、吐かないって、いつの日にか決めたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

9月

29日

2つ目の薔薇

 

 

ニューヨークから帰ってきて、みぞれりんごのうめ酒が発売になり、24時間テレビの壁画監督、三四六さんのCDジャケットの絵、欅屋びくらさんの2.6X7mの壁画が完成、などなど。

そして10月は篠ノ井市民会館でのライブペイントや、創業180年の柏屋さんの桐・杉の部屋一面への制作が始まる予定。

ポンタさんのドラムももうすぐ届くのだろうか。

 

 

 

そんな中、来年3月を予定して私の画集を出すことが決まった。

ついに、ついに、本になる。

 

 

 

キャンバス作品だけじゃなく、この本には、私の絵と私を囲むできるだけたくさんのものを詰め込みたいと思う。

 

 

 

描くということ。

私にとって描くということは、キャンバスの白い画面にただ向かうことだけにない。

どこへでもなんだって私らしく、描ける。

今まで、お金は経験と体験と出会いと絵に使ってきた。

描くという表現は、私の生きるという表現である。

そしてたくさんの場所から、たくさんの人と絵を通して出会いたい。

言葉よりもずっと心でわかりあえるから。

 

 

 

 

忘れてゆくものや薄れてゆくもの

目に見えないものを

深く大切に忘れないようにしたり

心に持っていられるようにすることが

私の役目なんだと思います。

 

 

 

びくらの壁画を描いていて、楽しいですか?と

何人かの人に聞かれた。

本当に楽しいことは、とても苦しいことたっだりするから、

私は楽しいですとは答えられなかった。

 

 

まっすぐ純粋に楽しく歩こう。

 

誰の意見も気になんかしていられない。

もっと気にしなくちゃいけないことが山ほどたくさんだ。

 

 

私は私の上を歩く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2011年

8月

09日

Sketches Of Spain

村上ポンタ秀一さんのドラムへのペイントが決まり、6月辺りに、ポンタさんに会いに行った。

 

 

その時に、心の中で

スペインの真っ赤な夕日と情熱みたいなドラムにしようと決めた。

それは、ポンタさんには伝えなかった。

 

 

ニューヨークにポンタさんから、パール楽器さんから、連絡があった。

きっともうすぐ届く。

 

 

 

帰ってきて、ポンタさんが、自分の永遠の中の一枚を送ります。イメージの参考に。

と1枚のCDが送られてきた。

Miles Davis

ジャズのサックス奏者だ。

 

 

 

 

CDのタイトルは、

Sketches Of Spain

 

 

 

 

スペインのスケッチだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

8月

09日

NY

 

いろんなものが、大きかった。

町も人もファッションも絵もハンバーガーもギャラリーも。

 

 

 

確かなものは、日焼けとダニ。

歩いて歩いて見つけて見て会って実感した。

夜はこの旅で知り合った人たちが毎日毎日会ってくれた。

見たものも8本のフィルム写真も過去になり、思い出となり、人は淡く儚く夢のよう。

 

 

 

とにかくたくさんのポストカードをあの場所に置いてきた。置いてきたのじゃない、手渡した。

私の絵をみんながBeautifulって褒めてくれた。

絵だけじゃなく、トランクや帽子やペンダントも褒めてくれた。

そのことは、私そのものが、表現なのだと再確認させた。

どこも手を抜く気はない。

 

 

 

 

またあの場所へ行く。今度はもっと大きな絵を見せに行く。

儚いものは、確かなのだと確かめに行く。

 

 

 

 

今は、淡く夢のよう。

いつかじわじわくるのだろうか。

今は、肌に残るものだけが確かであり、これもまた、消えていく。

 

 

 

 

人生とは、その繰り返し。

淡く儚く、確かにここにある。

 

 

 

 

私は永遠の旅人になりたい。

 

 

 

 

探し物がある。

 

 

 

夜の7時頃。ニューヨークのこの色が好きだった。
夜の7時頃。ニューヨークのこの色が好きだった。

2011年

6月

24日

シンプルな生と死

 

 

最近呼吸をするように私を表現しています。

 

店舗デザインを手がけた時は、近所の滝に枝を集めに行って、枝でオブジェをつくる。

 

庭の花で、生け花をする。

 

散歩しながら、花冠をつくる。

 

野菜を大きなお皿に盛りつける。

 

プレゼントに絵を描く。

 

その合間に、キャンバスに向かう。

 

私が生きるたくさんの時間に、息を吸って吐くように、私を表現しています。

 

 

 

 

表現とは。

 

優しさや喜びだけでは成り立たない。

 

 

 

生きるとは、人間とは、相反する2つのものを、同じ心に抱えているのだ。

 

私は、孤独を抱えた、寂しがりやなのである。

 

美しい花には、とげがある。

 

華やかな色ほど、毒を持つ。

 

夜と朝は同時に来ない。

 

しかし、日は昇る。

 

命をもらい、命を繋ぐ。

 

咲く者は、散りゆく。

 

美しい月は、孤独だ。

 

私には、男性原理アニムスがいる。

 

けれども女性なのだ。

 

とんでもなく自由で、解放的だが、そのことの寂しさや孤独や、心許なさもある。

 

選ばれし者は、恍惚と不安をもつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、生きながら、死を抱えて、なにかを表現する。

 

心よりもっともっと深い場所にある、魂を吐く。

 

感情よりも深い場所。

 

 

嬉しさも悲しさも、越えた場所。

 

言語では、表しきれないことがある。

 

 

 

 

 

 

 

2011年

6月

22日

木の下の影の中

 

 

 

 

 

 

 

もっともっと高い空を飛ぶための、白くて柔らかな羽をくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

5月

18日

大人になること

 

 

私も少し大人になりました。

私が大人になると絵も大人になります。

 

子供のまま、大人になりたい。

 

 

 

やっとスタートラインにたった気がします。

 

 

ここが勝負時だってわかってる。

 

 

 

 

そう、その答えはyes。

そして、すべてに答えはなに1つない。

 

 

 

 

プロフィールにLive paintingの写真を追加した。

2011.4.10の子宮けい癌検診啓発イベントの15分間のライブペインティング。

その最後の瞬間の顔。

いろいろな思いに涙をこらえた顔。

 

 

 

忘れない。

絶対に忘れない。

 

 

なくさない。

絶対になくさない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

5月

01日

春風

 

 

 

 

 

 

いつもどこか遠い目をしてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

4月

15日

 

 

僕は重なるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

4月

15日

陽炎

 

 

陽炎がライブペインティングをする前の私に見えたみたいだ。

オーラであり、魂であり、情熱であり、陽炎ではないかと思う。

 

 

ものすごい集中力だった。音も観客もなにも入ってこなかった。

 

 

魂と身体と絵の具の境界線を失った。

 

 

顔と画面と絵の具が1ミリの中に入ったとき、

悔しくて、嬉しくて、楽しくて、恐くて、ここにかけたくて、もっとかけていかないといけなくて、愛しくて、

これしかなくて、

涙をこらえた。

 

これしかないと言えないほど、私にはこれしかない。

 

 

次の日も次の日も驚くほど全身が痛かった。

神経そのものが痛かった。

 

 

この感覚を使うとこのくらいのものになる。ということがわかった。

 

 

 

私は、不安定で孤独の時に、絵を描く以外の対処法を知らない。

どこかにそれ以外のそれを取り除いてくれるものは、これから私に現れるのだろうか。

 

 

 

明日から小布施の展示。

とてつもないものができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

4月

15日

311

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

4月

10日

風を切る

 

 

 

 

高校時代に、陸上部の先輩に「なんで陸上やってるの?」

と聞いたら、

走っている時はすべてを忘れられるから。

と返ってきた。

 

 

今日はライブペインティング。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

4月

08日

世界の星の

 

 

 

 

君の声を聞かせてよ。

 

 

 

 

鳴るまで絵の具を離さない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年

3月

01日

毎日と絵と私と毎日と

 

もう3月。

最後のブログを書いたのは、11月30日。

ゆっくり腰を下ろして、長い日記を書く暇のない毎日でした。

 

 

ツイッターは、私のメモ書きみたなものに使ってます。

だから堅苦しい文章なんかばかりです。

そんなに一生懸命絵のことを語らなくてもいいのに。と思われているかもしれません。

 

 

でも、私の頭の中は、いつも夢みたいなことに夢中です。

だからほかにつぶやくことがみつかりません。

 

 

 

昨日ブログを更新する気になりました。

じっくり文章を書いて、考えて、宣言して、スタートをきろうと思う。

 

 

 

ドローイング展が無事に始まった。

330枚くらいになっただろうか。

 

 

 

実は2004年くらいから積み上げてきた表現に限界を感じていて。

なんで限界を感じたかというと、どうしてもあの頃に勝てないのだ。

絵も私も、ずいぶん大人になってしまった。

どこか上手に、器用に、渡れるようになってしまった。

破って破って挑戦していく強さが、なんだか私たちには足りない。

小さな場所でもがいてるだけになっている。

 

 

あまり絵に向わない年もあった。

向かっていたら違ったかもしれない。

 

 

でも、今はまた向き合ってる。

だから、私は、君と今までに向き合ってきた中で、一番まっすぐいようと思った。

 

 

 

 

だから、また1つ1つ創り上げる。

何が好きで、何が気になるの?

何をどう描こうか。

 

 

 

そんなスタートに、ドローイング展をもってきた。

これは見たらわかる。

今までの私と違う。

違うようでどこか似ている。

 

 

 

だから、ある画家の方に批判もされた。

がっかりだと言われ、

一枚一枚見れない。と言われ、

枚数稼いだだけ。とも言われた。

 

 

 

でも、いいんだ。

たくさんのメディアが芸術にも広がりをみせる。

でも、私は描くことが好きなんだ。

シーンに背中を押されて前に向かうよりも、私は、好きな道を自分で歩きたい。

 

絵が好きなんだ。

 

 

 

描いてるときは好きなんて言えないことばかりだけど、好きなんだ。

絵は正直だから。私に絶対嘘をくれない。

だから好きなんだ。

 

 

ドローイング、今回は私の体に、今までの生きている間に、生まれる前に、抱えたものを、もう一度、すべてだそうと思った。

もう一度、原点に戻る必要があった。

もう一度、君とゆっっくり話がしたいと思ったし、そうしないと、私と君は限界だったんだよ。

 

 

 

そしたら、2004年くらいの形やモチーフなんかもちゃんといた。

私の体を切り開き、骨も肉も血も探ってみたかった。

 

 

 

これは完成じゃない。完璧でもない。

また、うまくやっていくためのスタートなんだ。

一歩なんだ。

だから私は自分に、がっかりなんてしてない。

胸を張って前に進む。

いいドローイングがある。手放したくないものがたくさんある。

 

 

 

画家だと自分で言って少し売れて、長野や東京に少し知れ渡って、絵だけでご飯が食べれて、それで満足して。

私はそんな人生にするのは嫌なんだ。

 

 

中途半端に生きるのは嫌なんだ。

 

 

 

今までみたいな絵を描けばいいと思って、今までよりも少しだけ変化して、絵は低下して、エネルギーも低下して、それにも気づかず、気づいても気づかぬ振りして、スタイルに縛られて、ドローイングも今まで描いてきたモチーフばかり描いて、ドローイングにも完璧を求めて、少しうまくなって、少し何かを得て。

 

 

違う。

うまくなんてなりたくないんだ。

小手先だけで絵を描く人間にはなりたくないんだ。

誰かと自分が決めたスタイルなんてどうでもいいんだ。

そんなところに満足したくないんだ。

 

 

 

もっともっと壊して壊していい絵描いていきたいんだ。

君にだけは、背中むけたくないんだ。

もっと私は私の絵にみたいんだ。

 

 

 

たくさんのものが現れた。たくさんのもののようで、そんなに多くもない。

全部バラバラしているようで、どこか繋がっている。

そんな300枚になった。

 

 

 

あるアーティストの方が、あの日作品にもあなたにもエネルギーを感じたって褒めてくれた。

いいものには霊的な何かがある。その下の一流にはそれがない。

と言っていた。

たくさんの方が来てくれて、作品を買っていってくれる。

本当に嬉しいこと。

 

 

 

これからむかえる、下絵展、スペインの旅、小布施の境内での展示、NYのグループ展。

 

 

 

 

私は、世界に、時代に名を残すアーティストになりたい。

一生戦います。

 

 

 

 

売れることや地位や名声と戦うんじゃない。

目の前の君と今までの中で一番戦う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

11月

30日

描くことは最高の遊び

twitterを始めてから、ブログおろそかにしてました!

最近壁画の仕事がずっと続いて、パソコンにあまり向かう暇もなく。

壁画の仕事がこんなに続くとは予想外。

こんなに楽しいとは予想外。

絵ってやっぱりいいのね。何にも変えられない。

温かくて強くて優しくて恐くて、さり気なく寄り添ってくれて、消えそうで儚くて、美しくて汚くて、生きていて、何にも変えられない。

 

 

この半年で、店舗への壁画作品は6作品。壁画以外の作品が5作品。

たくさんありすぎて数が間違っているかも。 

年内は、MIST Luxury への作品と住宅の和室への仕事で終わるかな。

 

 

 

 

真剣に遊んでます。

やっと絵を描くことが最高の遊びだと言えるようになった。

どれもすべて1つも少しも妥協したことはないです。

時間がなかったら睡眠時間を削ればいい。休憩しなければいい。限界のベストを尽くす。

楽しくて一生懸命に苦しくて疲れて寝れなくて涙がでて、でもそれが楽しい。

この遊びが一番楽しい。

何をするよりも楽しい。

毎日ずっとこんなのがいい。

そして、疲れた時に少し寄りかかれる人たちとお酒があったら幸せ。

早くまた描きたいー。描きたい!

 

 

 

 

最近大学恩師の先生が、壁画を見てくれて、素晴らしい!と感動してくれた。

間の取り方、色、場所への対応、さすが造形大の学生だ!って言ってくれた。

そして私が、下書きをしないことに驚いて、よくそれで描けるね!!!と驚いていた笑

そうなんです。私そういえば下書きは正円などきちんとした形を出すとき以外、してない。

というか、下書きをしていないことに気が付かなかった。

本も桜も不死鳥も。

遊んでいるんです。

そこの場所で自由に遊びたいんです。

失敗できないものに対して

形が無いところに挑むことは、とても恐いこと。

だから最高に楽しい。

それだけの精神力は必要。だから強くなる。

 

 

 

そして、母校に前例のない職業だ。と言っていた。

1つ1つに一生懸命にこなしていたら、いつの間にか新しい職業を作ってしまったみたいだ。

確かに聞いたことがない。

今という時代と場所に寄り添っているのだ。

ちょっと恐くもなるくらい不思議で。

だって絵を描いて食べていけてるのだから。

でもまだまだ。まだまだ。

 

 

 

その仕事が、信濃毎日新聞の見開き半面に。

その日は、人生の中で一番メールがきた。

朝から晩まで、小学校の時の先生から、同級生のお母さんから、友達から電話。

メールは80件くらいきて。

地元に感謝です。私の絵を育ててくれているのは、温かい地元の人たち。

 

 

 

2月は個展も控えているし、

 

 

 

ここに満足せず、まだ見ぬ高いとこ目指して前進していくことを誓います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

9月

30日

孤独

 

 

絵の具が手や足から離れない生活がまた続いた。

 

描いても描いても描くことが終わらない。

 

髪の毛は太陽に焼けて傷んで、足は蚊に刺された跡と脚立にぶつけた跡ばかり。

寝不足や疲れもたまって、思考は止まる。

ただ、ただ、夢中に描く日々。

夜は、大抵次の日を迎えるまで。最近は平均睡眠4時間半程度で描いていた。

すべてが絵の具に染まっていく。

 

 

 

手も洗わずにコンビニで買い物。

血管みたいに手を流れる黒い絵の具に、店員さんがびくっとした。

 

 

 

 

絵の具は、服よりも近くに感じる物質。

絵の具という物質が、身体という物質を通して、私という存在と重なって、

ここにいなさいと私に言う。

形あるものは空。空は形あるもの。

形あるものが意味するのは空であり、空が意味するものは形あるものである。

 

 

 

 

私の匂いのように、私の色になって、私を訴える。

私の色。私の肌。 私の存在。

 

 

 

手には、マニキュアや指輪はしない。

夜に1人、絵の前で、絵の具を足の爪に塗った。

 

 

 

 

 

 

 

最初は、どんなものでも、泣きそうになるほどできなくて、不安になる。

模倣しなければ当たり前のことだ。

できなくで、少し気がゆるむと本当に泣いているくらい落ちる。

でも、最後はいつもいいものになる。

いいものになると信じて立ち向かう。

これは、私との戦い。

私には負けない。負けちゃいけない。

 

 

 

 

 

 

最近、本棚と本を描きまくった。

本を描き続けて寝れずに生きるか、夢の中で本に潰されて死ぬか、

どっちかだ。と思った。

描かないで生きると言う選択は、私にはないと思った。

生きるか死ぬか。

それは、死を感じないと、生を感じない。

ということ。

苦労をしないと努力をしないと、本当には笑えない

ということ。

そういう生き方をしていたい。

 

 

 

 

 

 

最近絵を買ってくれた人に

越さんは自分を一言で表すとどんな人ですか。

と、聞かれた。

 

 

孤独な人だと思います。

と答えた。

 

 

 

 

月の光を浴びて、赤いワインを飲む。

髪は狼の尾。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

8月

20日

2010 SUMMER

 

 

 

気がつけば夏の終わり。

 

 

今年の夏は絵の具まみれの夏だった。

 

 

 

ぐちゃぐちゃに絵の具まみれで、ぐちゃぐちゃに汗かきながら創った夏。

休む暇なくそれが続いて、気がつけば夏が終わる。

残暑と一緒に、この夏の仕事たちもあと少し残った。

そして、新しく秋を迎える季節と一緒にまた新しく創ることが始まる予感もくれた。

創ることとそのまわりの人達との夏だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始まりは、ミストの2F。

450枚の鏡で天の川を創った。

映るシャンデリアやライトの光も星に変わる。

24歳の夏に見た甑島の天の川の記憶。

宇宙銀河の天の川の下でparty!!2010
宇宙銀河の天の川の下でparty!!2010

 

 

 

 

新しく七瀬にopenするお寿司屋さんの外壁。

家紋を入れることのみ要望があり、後は自由にやらせてもやった。

夕方からの屋根の上での制作は、夏祭りの一人舞台だった。

下にはたくさんの見物人が出た。

家紋の方まで花が伸びて完成
家紋の方まで花が伸びて完成

 

 

 

それから私が教える予備校のかわいい生徒達とシャッターアート。

座る道路からも夏を感じたり、夜は夏の匂いがしたね。

宇宙に私も、私という星、ダイヤモンドを描かせてもらった。

描ける日がある限り、雨の日もずっとずっと描き続けていた。

強く優しい絵。

ありがとう。

 

 

 

 

 

東京造形大学の恩師、教授の生嶋さんが長野に来たので、一緒にお酒を飲む。

本当によく飲んだ仲。

お酒の席で、造形大学広報の人を、真剣に周りの目を気にせずに、

学生のことを考え怒っていた。

そんなことしてるとこの子が泣きますよ。と怒っていた。

人を真剣に怒れる人であることに改めて感動した。

自分の利益以外で、こんなに叱って、訴えてくれる人は長野にはいない。

 

私のころは、帰れと言っても聞かず、描く、遊ぶ、そんな時代だったと言っていた。

何もかも夢中にやった。

守りに入ることを知らない攻撃的な学生だったと思う。

みんな目をぎらぎらさせて、ぶつかった。

 

次の日に、ばあちゃんが今朝採った夏野菜を段ボールのまま電車で抱えて持っていき、

おみやげに渡した。

生嶋さんも段ボールのまま抱えて、東京に持ち帰った。

 

太陽の下の緑色の野菜と、懐かしい思い出。

まだまだ戦い続ける人たち。

 

 

 

 

 

それから南石堂町のお祭りにて卒業生(大学生)と在学生と一緒に壁画制作。

また、ダイヤモンドを描いた。今度はそれに目を入れた。

帰ってきてくれてありがとう。

絵の具だらけの手で飲む昼間のビール。

駅前西友駐車場
駅前西友駐車場

 

 

 

 

 

壁画の繋がりで、夜は、南石堂町のお祭りにて

卒業生と2人で、20分間のLive Painting。

 

 

 

 

次の日も次の日も、興奮していた。

描き終えて、一番感じたことは

私は、描くことが好きだということ。

 

 

 

 

絵を描くときの私の目を、私が他の何をしているときにも見たことがないとよく言われる。

それから、酔っぱらっているところしか見たことがなかったと、よくこういう場面や作品をみてすごく驚かれる。

そのたびにやったね。と思う。

最高のほめ言葉だと思う。

苦しいところを見せて、絵は見せられない。

苦しく必死なことも笑って難なくやったような顔をしていたい。

 

 

私の努力や苦労は、内側に。

絵の表面には、もっと言葉にならないことを。

というかまだまだ努力や苦労がたりない。

簡単なことをより深く。

深いことをより簡単に。

なんでもないようなことをより大事に。

大事なことをよりなんでもないように。

 

 

 

 

 

2月にFLAT FILEにて個展が決まった。

GalleryオーナーのモリヤさんはんN.Y帰りの方で、(たしか、むこうには10年ほど住んでいたと言っていた)

いずれはFLAT FILEごとartistを抱えてN.Yに持っていきたいなんて話をしながら、Drawing10点を預けた。

1年間FLAT FILEにて、販売していますのでよろしくお願いします。

私もまだ見ていなくて、モリヤさんのハンドメイドの額に入れられているはずなんで、楽しみ。

 

 

 

2月の個展は、モリヤさんのご希望によりDrawing展です。

そういえばDrawing展は初めて。

200から300枚展示してほしい。と言われました。

じゃあ1000枚以上はとりあえず描こうと思った。

 

 

 

以前になるべく早くにやりたいと言ったら、みんな制作が間に合うか心配なので、なるべく遅い月を希望しているという。

私は空いている月の一番早い月を希望した。

私は二月でも遅いくらいだ。

創ることをそんなにのんびりやっていたら、そのまま何も創らず、死んでしまいそうで怖い。

 

 

 

すごく楽しみ。何が楽しみかというと、

自分がまた変われそうだから。

私の知らない私に会いたいのです。

 

 

 

N.YのGalleryもいくつか紹介してもらった。

以前から描いている身近な夢は、N.Yや海外に作品を見せていくことだったので、

ほんの少しだけその夢に近づけそうな予感。

まだ何も自分で動いてないので、ただの予感。

 

N.Y帰りのモリヤサんが作品を褒めてくれるのは、本当に嬉しいこと。

 

 

 

 

 

そして、お寿司屋さんの2Fの上座。

これはすべて任せてもらえたので、私の好きにやらせてもらえた。

それって、すごいこと。そしてプレッシャーで緊張したり落ち込んだりしながら、

完成した。

 

幹は白で、花はドットにした。

メニューには、腕前のある寿司職人さんのお寿司とアジアン料理になるらしく、

ワインも出すと言うので、赤ワインのメニューを増やしてもらった笑

その上座は、和よりにぜずモダンにした。

ある程度の形になるまでは、不安で不安で徹夜して朝9時過ぎまで描いた。

汗をかきながら一人静かに描くことは、本当に贅沢な時間で。

疲れきった体で、出来上がっていく花の下、贅沢な夏の花見をした。

 

 

 

 

それからライバル達と1泊2日のキャンプ、バーベキュー。

ここはお皿だから使っていいよ。と絵の具のついたズボン。

当たり前の堅い頭を持たぬ人たちとの時間は、ゆっくりとした時間。

 

前々日は、描くときも日常でも聞いている音楽を生で聞きに、

一緒に6人でクラブに行って、全身筋肉痛に。

みんな好きな時間に一人一人帰っていった。

Jazzin’parkの栗原さんと話した。高校生みたいだね!と言われた笑

何か一緒にできたらいいな。

みんながびっくりすること!

 

 

 

 

それからArtistでもある、多摩美の講師の栗原一成さんと意気投合し、いろいろ話せたこともいい時間だった。また栗原さんと東京の多摩美学生達と一緒にお酒を飲みながら、日本のアート界を盛り上げていく話ができたらと思う。

 

 

 

そんな私の夏の残暑は、新しいお店の絵の依頼がおそらく3店舗とお寿司屋さんのトイレデザイン。クラブでのLIVE PAINTING。そして、1000枚を越えるDrawingを始めること。

 

 

 

本来の自分の絵を描くことと、お店へのデザインは決して重ならないけれど、

長野が私でいっぱいになることや、創ることは本当に楽しい。

 

 

 

 

もう一つ、決めたことがある。

けれど現実になるまでこれは言わない。

 

 

 

 

 

 

たくさんの絵の具まみれが幸せで、もっともっとそうなりたい。

After  Summer.2010

 

2010年

7月

15日

宇宙銀河の天の川でPARTY! in MIST

Mistの2Fに6角形の金と銀の鏡を250枚使って何か表現したい。

そんなお話をオーナーの高野さんから頂き、南米をイメージした空間に鏡で天の川を創ってます。

 

 

和田内装の方と。職人さんってすごいな、と尊敬することばかり。

まず、持っているものがおもしろい。

知らないものばかり。知らないことばかり。

全然滑らないマットや銃みたいなシリコンとか、ゴミ袋のような頑丈な袋とか、鏡もカッターで切れるのか・・・付いたら絶対にとれない両面テープとか。

なんだこれー!と

素朴でいて感心するような道具やことばかり。

素朴なことに人がつくることの力強さを感じた。

 

 

それで鏡をとめた後に、

もう絶対とれないよ

と安心する言葉と

でもとれるから大丈夫

と安心する言葉

をくれました。

そして

私が求めてる場所にピッタっとあててきます。

以前からお世話になっている方。  

私のファンでもいてくれます。(たぶん)

 

 

この方と会って、他の誰とでもなく、

こうしてこの仕事を一緒にしていることは、やはり必然でした。  

そしてもっとそう感じるものを創れるだろうと確信しています。

一緒に仕事をしていると、私に似ているなと思うことがあります。

 

 

 

 

会わせてくれた和田内装の同級生にも感謝。

いつも助けてくれます。

いつも味方でいてくれます。

 

 

 

 

 

 

月曜日、壁だけで250枚の鏡が1日で終わってしまいました・・・

来週追加したもう250枚で続きを創ります。

 

 

 

 

 

 

 

次の日に、その時は夢中になって気付かなかった脚立にぶつかっていたらしい足が、

大きな青あざになっていた。

でも可能ならば、寝ないで完成させてもいいくらい夢中でした。

大概そういう時は、終わって腰を下ろしたと同時に疲れも降りてきます。

夢中になると、食事をとることも休憩することも忘れてしまう。

 

 

 

 

 

そんな体の疲れがとても気持ちいい。

あまり頭が回らなくなるのも気持ちいい。

 

 

 

 

 

 

 

天の川を見たことがある。

大きな大きな天の川を甑島で見たことがある。

夜の海辺の長く続く道の上に大きく大きく広がって

私が歩く道を写した。

 

 

 

その川を越えよう。

 

 

 

 

来週はもっともっと疲れよう。

 

 

 

 

 

 

誰も見たことのない大きな大きな天の川を 

私も見たいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

7月

14日

My Birthday! 2010.7.8

 

 

朝、歩いていて、ふと思った。

じっくり考えるという時間と移動するという時間(場所から場所へ移るまでの時間)は、

歩くリズムと早さに一番はまる。

 

 

 

 

歩ける体がある限りは、人力のみで移動することが、一番直に身体に入るのだ。

自転車の早さや、そのたどり着くまでの時間に、私の思考は追いつかない。

車なんて論外。

何も感じないままゴール(目的地)に着くことが多い。

それでも遠出をする時なんかは(最近でいうと東京)歩くわけにはいかないけれど、90分で着いてしまう新幹線よりも、3時間かかるバスがいい。

ゆっくりゆっくり場所を移動しながら、ゆっくりゆっくりそのリズムにのって

ゆっくりゆっくりものを考えることができる。

 

 

 

 

思考だけではなく、国から国へ時空を越えると体はどっと疲れる。

これだけの距離と時間を越えるのだから、これくらいの体への影響は自然なことだ。といつも思う。

 

 

 

 

それは、人間なのだ。といつも思う。

たった1人の小さな人間なのだと。

 

 

 

 

 

 

歩くこと

それはじっくり進むこと

大地を踏みしめること

太陽の光を浴びること

月の暗闇の中の孤独と強さを感じること

同じ月を見ること

雨の温度を知ること

寂しさと無力を感じること

風と空気と重なること

風になった人を思い出すこと

その香りがすること

絵を描くこと

お腹が空くこと

夢中になること

 

ART.Music.Pink Diamond.Rainbow.Books.Notes.People.Birth.Death.Life.

汗をかくこと

涙が出ること

 

そのリズムに私の体に混ざる脳や意識や精神や感覚が興奮する。

 

 

 

 

 

 

 

30歳になりました。

やっとわかってきたこと。永遠にわからなそうなこと。

自分で歩き、生き急ぐくらい突っ走っていきたいです。

 

 

 

 

 

たくさんのメールや電話やparty。ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もらった手紙に書いてあった。

 

今こうして生きていることはとても素晴らしいことだと最近思うよ。

だから越ちゃんの30年という長いようで短い時の流れも

ひとつの奇跡だと思います。

これからもキミのたっている場所からキミのメッセージを届けて下さい。

それはきっと世界に届くよ。

WE ARE ALL ALIVE!!

WE ARE ROLLING STONES.

 

 

 

 

 

 

 

誰にも言ったことはないけれどLIKE A ROLLING STONESは私の好きな曲。

 

 

 

 

Present of pierced earrings  from ISO
Present of pierced earrings from ISO

Special thanks.

iso.yasue.tsuruchan.acchan.yu-ki.okuyama.yuki.shinchan.chichan.hisashi.

tomita.hisa.sumiko.yoko.emi.miya.tomo p.fumie.yusuke.shigeru.ayako.kaho.

moeno.yo.jyun.ayaka.masakuni.Mr kamata.takumi.my family.

 

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2010年

6月

24日

ダライ・ラマと私

 

 

ダライ・ラマ長野講演。

初めて長野に来ることを知ったのは、2009年12月23日の信濃毎日新聞。

 

 

 

それから、半年。

2月のチャリティー展覧会を終え、そしてまたいくつかの展覧会が始まり、

描き続ける中で、どうしても聞いてみたいことがあった。

 

 

 

 

 

2008年の東京講演では、質疑応答の時間があり、格闘技界と柔道界への選択を迷っていた石井選手がそれを質問していたのを覚えている。

でも、今回は、北京オリンピック聖火リレースタート地点を、善光寺が辞退したことの感謝の意を示したことで決定したと言われていて、様々な問題から質疑応答はないと思う、と聞いていた。

 

 

 

 

 

それでも私はずっと来ることを知った日から、私が話して、絵を渡せると信じていた。

そうなると感じていた。

確信はどこにもないのに、家族や友人にはそう伝えていた。

 

 

 

 

 

 

当日は、セキュリティーチェックが厳しくて、手荷物はすべて隣の会場に預け、携帯と貴重品しか開場に持ち込めなかった。

私は、伝えたいことを書いた紙をチケットより先にポケットに入れて、(友達にはチケット忘れてるよ、といわれた笑)

絵は高価に見せれば貴重品になるかね!なんてのも却下され、

絵も預けて会場に行った。

 

 

 

席は、質疑応答の時間になったら、すぐに前に出で行けるようにアリーナ席の通路席にしておいた。

 

 

 

1時間前に着き、着席していると、アナウンスが流れて

質疑応答希望者は今から先着順でアリーナ席から6名、2階から2名、3階から2名受け付けますので所定の場所に並んで下さい。

と、言われた。

やっぱりあった。と思いながら

所定の場所がわからない。

見つけたときには、“アリーナ席所定の場所”にプラカードが立っていて、

すでに10人くらい並んでいた。

 

 

 

だめだと思った。

 

 

 

諦めながらも、少し早歩きで向かってそれでも並んだ。

すると、前の人が団体で消えて

最後の6番目の鮮やかなオレンジ色のたすきをもらえた。

だから、私もう大丈夫だって思った。

 

 

 

公演中は、ずっとその紙を手に握っていた。

無くしてしまうのが怖かった。

絵を描く時の感覚や、箸じゃなく手で食べるような感覚でもあった。

 

 

 

3時半に集合と言われたので

1番乗りで場所に行った。

時間的に全員が質問できないのもわかっていた。

もしかしたらの可能性で、席に来た順になればいいと思った。

さっき、何を根拠にもう大丈夫かなんて思ったのかわからないほど、また不安になった。

 

 

 

僧の方に

意見をまとめてきたと不意に紙を見せると、時間がないから短くしてくれと言われた。

自分から話しかけておきながら、

すべて伝えなきゃ意味がない。と思い

勝手に却下した。

 

 

 

 

時間になり

「たすきをもらった順に並んでください。」

と言われ、

6番目じゃだめだ。

と思った。

 

 

 

マイクは左右の通路に1本づつの計2本あって、

左側はアリーナから、右側は2階3階からの質問者が並んだ。

会場をダライ・ラマ近くの左側マイクに進んでいる最中に

「6番目の人はむこうのマイクに行って」

と言われた。

何か起こりそうな予感がした。

けれど、その人に

「むこうのマイクの一番後ろについて」

と言われた。

1番最後じゃだめだ。

とまた思った。

一か八かで右のマイクの方の人に

「アリーナの6番なんですけど」

と言ってみた。

「アリーナ6番目の人が先頭です」

と、右のマイクの先頭に立ってしまった。

 

 

 

私は2番目に意見を言った。

ダライ・ラマに「次は君だよ」と指をさされた。

 

 

 

 

7000人の中の10人の中の、結局4人しか話すことが出来なかった。

私は、3番目のたすきでも、5番目のたすきでも話せなかった。

 

 

 

講演会が終わって、帰り際に近くの尼僧の方に、意見を述べた者であることと絵を渡したいことを伝えてみた。 はい、わかりますよといったような優しい笑顔で

今取りに行けるなら渡しておきますよ。

と言ってくれた。

たくさんの贈り物がない場所で“質疑応答で話した彼女の絵”を渡せた。

 

 

 

 

絵の裏にはサインとは別に名刺を名前代わりに貼った。

私が意見を述べるとき、名前を言ったことで、前から名前を知っていたと中学校の美術教師の方が話しかけてきてくれた。

大型スクリーンに顔も映し出されたことで、会場にいたデザイナーの友達も元気をもらったと、連絡をくれた。

 

 

 

名前や顔が知られることは、とてもいいことだ。

だから私はあえて名前を言った。

私がしたい、やりたいこと、やるべきこと、をたくさんの人と分かち合える1つだから。

私が影響力を持てばメッセージが大きく広がっていくから。

言葉は強い力を持てるから。

 

 

 

 

ただ、描く行為だけは無だ。

それに言葉をつけて説明し始めると、言葉だけが空回りして、奥のものよりも遙かに

表面で上辺を遊んでしまう。

なんのためも考えない。誰のためのものでもない。

価値のないことに無意味なことに最大の価値がある。

その無価値と存在が接着面がわからなく重なるのがいい。

 

 

 

 

 

ダライ・ラマの最初の答えは

I don't know.

 

私はたぶんその答えを待っていた。

その後に、

あなたの意見に非常に感銘を受けたというようなことと、21世紀を担う若者がこういうことを考え行動していることが嬉しいというようなことと「9回失敗したら9回挑戦すればいい」というチベットの諺をくれた。

そして手を合わせてくれた。

 

 

 

 

緊張して答えをはっきり覚えてないけれど、言葉を思い出して並べるよりはっきり心に入った。

 

 

 

 

 

 

何よりも私は、7000人の人に

芸術は生命そのものであり、生きることそのもの

と言えてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

たくさん緊張して、震えて、でも言えた。

やっぱり言えた。

それは貰ったチベットの諺だった。

 

 

 

 

 

 

 

やりたいこと、描いた夢。実現していく力に自信をもって

もっともっともっと頑張っていく。

 

 

 

 

何度も何度も失敗して、挫けて、それでも何度も、何度も、前に進む。

 

 

 

 

そして私はその中でどんなことがあっても世界の人々のことを忘れない。

 

 

 

 

妥協も後悔もしない人生にする。

 

 

 

 

 

近くで私を見つめて笑う活仏、観音菩薩。発言する前の静まり返った空気とキラキラしたライト、大型スクリーンの中の私、話し終え会場を歩き出したとき、何かが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の話したことは次のことです。

「今日はようこそおいで下さいました。

私の名前は越ちひろと言います。油絵を描いています。油絵を描くこと、絵を描くことを職業としています。その中で考えていることがあります。

2007年N.Yで、デザイナーたちが、残りの90%の人々のためのデザイン展という展覧会を開催しました。今、私が手にしている製品やサービス、デザインは、世界の10%の人々にしか触れられていないことを知りました。その他の90%の世界の人々はそのデザインを手にできないばかりではなく、食料やきれいな水さえも口にできないこと、そして6人に1人は1$以下の生活をしていることを明らかにさせられました。

作品は、世界で使われているどんな水でも飲み水に変える個人携帯用浄水器や、自分の力で貧困から脱出させている農業用具などでした。

私は絵を描くアーティストです。製品をデザインすることはできません。

しかし、芸術は生命そのものであり、生きることそのものです。それは人の心を豊かにします。私はそんな仕事に誇りを持っています。人の心の豊かさはどんな場所のどんな人にも必要だからです。

私は、2月に長野市で、38人のアーティストを集めチャリティー展覧会を開催しました。 68点中45点を売り上げ、全額のおおよそ27万円を寄付しました。

しかし、集まったお金を団体に寄付し、託すことが最善の方法ではないと思います。

デザイナーは直に製品やプランから手を貸すことが出来ています。

私たち芸術家、絵描き、アーティストはその資金をどのように動かしていけばよいか何かありましたら教えて下さい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

この答えはダライ・ラマと話した直後に、少し見えてきた気がする。

アーティストとデザイナー、その他もっともっとたくさんの人たちと一緒に考えていけばいいのか。と。

 

 

 

 

 

-ダライ・ラマの般若心経より-

 

ダライ・ラマがカルマ(業)について述べた文(部分)

 

生命は無限である。それには始まりも終わりもない。よって、行為、カルマもまた始まりもなく、終わりもない。カルマは無限である。いわゆる無限大のカルマがあることになる。

 

 

般若心経の翻訳(部分)

 

現象を形作る5つの集積したものをよく見極め、その本質が空であることであると見徹すべきである。

形あるものは空であり、空は実に形あるものである。

形あるものは空以外のものではなく、空は形あるもの以外ではない。

形あるものが意味するのは空であり、空が意味するものは形あるものである。

同じように、感じるものも、識別することも、心が作りだすものも、認識も空である。

 

 

かくの如く、シャリプトラよ、すべての現象は空を特質とする。

それらは生じず、減せず、汚れず、清純でなく、完全ではなく、不完全でもない。

 

したがって、シャリプトラよ、実に空においては、

形あるもの、感じるもの、識別することも、心が作り出すものも、意識もない。

眼なく、耳なく、鼻なく、舌なく、身なく、心もない。

形なく、音なく、臭いなく、味なく、触れるものもなく、現象もない。

視覚が捉える要素がないのと同様、意識の捉える要素も、認識する要素もない。

知もなく無知もない。どこまでも知や無知が尽きることもない。

老死はなく、不老不死もない。苦はなく、始まりがなければ終わりもなく、悟りに至る道もない。

叡智もないし、達成することも達成しないこともない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2010年

6月

22日

Thanks a lot for came the entkukui's opening party !!

 

 

 

15日、16日のopening party。

おおよそ4時間の間に来てくれた人45人。  

3分の1は結婚式と同じ大学メンバー。 

2月の展覧会東京メンバーもほとんど来てくれた。

それから東京にいる元生徒であり友達。

みんなありがとう。

 

展覧会作品画像は、展示終了後、 Exhibition Works と Works に載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

6月

22日

eternally

大学仲間の結婚式。

りんた、弓おめでとう。19歳だった林太郎。KOSHIKI ART PROJECT代表。

たくさん一緒にいました。たくさん側で支えてもらいました。

 

 

 

 

そして、その仲間たち。絵描き、アーティスト、デザイナー、その他。

それぞれの道を進み続けていることに励まされた。

本当に見えないものに向かってただただ無我夢中に進んできた学生時代と卒業後。

それぞれの道が開けてきたことを感じて嬉しかった。

創りつづけてきた証拠。やり続けてきた証拠。

ただ創り出すことが好きでたまらない人たち。

10年後がますます楽しみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

6月

10日

エンククイ opening party

 

 

entkukuiの個展のopening partyします。

15日19:30-ある程度の時間まで。

16日19:30-20:30

 

みなさんに会えるの楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日東京に搬送しました。新作9点。

作品梱包したり運んだりしてると、これ普通の女の子には無理だな、といつも思う。

でも、一応は、なんだってやろうと思えばできるし、やりたい!って思う。

絵描き?芸術家?アーティスト?どの肩書きもいつもしっくりこない、

けれどそれらってパワフル。

 

 

 

 

 

たる木切って木枠つくって、綿布張って、バンド水塗って、ジェッソ塗って、手のひらに青あざ出来て、描いて、描くだけじゃないことして、運んで、釘打って、ドライバー使って、展示して、DMデザインして、名刺つくって、壁ペンキ塗って、おかげで高いところも平気だし、重い物も持てるし、デザインも勉強してないけれど自分の好きにやってる。

できるだけ出来ることは自分でやって体に染み込ます。

無理かもと思ったことも人に託さずとりあえずやってみる。

自分の手でやることが、一番実感するから。

やったことは、苦しくても苦しかった分だけ、何百倍もの喜びに変わるから。

その経験が、これから起こる苦しいこともきっとそうなると信じて進めるから。

 

 

選択肢は、苦しく未知で怖い方を選ぶ。

楽な方は、もう私が知り得ていること。

わかっていることを繰り返しても道は切り開けない。

絵も同じ。挑戦。創造と破壊の繰り返し。

 

 

 

 

 

描くことには、その実感が最大にある。

パソコンを使った仕事は、人に頼っている感覚がある。画面に色を置く行為も。

このパソコンが壊れたら、私はパソコンのせいにする。出力したときの色の違いもどこかのせいにする。

でも、絵が駄目なら、私のせいだ。全部私のせいだ。

大きな機械であっさりできる物より、自分でノコギリや小さな機械で切った物に喜びを感じる。

大量生産よりも、世界にたった1枚の絵がいい。

 

 

 

 

 

 

絵の具がなくても、水と土だって描ける。足だって描ける。地面にだって描ける。

それすら無理なら、紙を破ったり、何かで形をつくるのもいい。気持ちがあれば生むことができる。

私が創る。何もかも私の好きにする。そこに芸術はある。

無意味なものが、とても大切だったりする。

 

 

 

 

 

 

たくさんの絵が消えた部屋。

落ちた絵の具が、床をまた新しくした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

5月

31日

NAGANO ART FILE 2010  (naf.=ナフ)

 

 

長野でのグループ展に参加することになりました。

6月は展覧会が3つ重なり、こちらでの作品は新作とはいかなかったのですが、油と紙作品2点出品します。

ARTSPACE FLATFILEは額縁のオーダーメイドもやっているそうなので、今回の作品は額と作品の合わせ方にこだわりました。

油絵も額に入れて遊んでみました!満足!!

うわっと驚かせてあげます。から、どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

今、家では、エンククイのための「心臓」描いてます。今日完成予定。

7月の誕生日以降からカバラ占術によれば数十年に1度の運気だそうで。

今は、何にも言葉というものが出てこないので、3つの展覧会がすべて始まって、またかきます。

最近、見えているラインを捨てました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長野在住のアーティスト展 NAGANO ART FILE 2010(naf.=ナフ)

 

6/4(金)~27(日)

営業日:金・土・日(10:00-18:00)

場所:アートスペース FLAT FILE

 

オープニングパーティー:6/5(土)5:00~8:00

 

参加アーティスト

Abnormal system、arais、Biondy Chopper、KOHKI、石川宗男、内山温那、岡沢じゅん、小笠原勝之、勝山ゆかこ、木村仁、小池マサヒサ、越ちひろ、小林愛枝、小林野々子、島田恵子、清水隆史、須藤友丹、たかはしびわ、田中克樹、なかむらじん、中村眞美子、朴再英、広瀬毅、モリヤコウジ、渡辺祥子

 

2010年

5月

20日

Moleskine

Moleskine。

ゴッホやピカソやヘミングウェイらに愛されたノートブック。

 

 

Moleskineのサイトに私のNote Bookが載りました。

 

 

2010.5.19  越ちひろの“瞬間”のためにモレスキン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年

5月

13日

[death of consciousness]art&bar [entkukui]

2010年6月15日(火)-6月30日(水)

 

art&bar [entkukui]

エンククイ

東京都渋谷区恵比寿1-8-7三恵8ビル1F

http://entkukui.jp/

 

営業時間

月-木:19:30-2:00

  金:19:30-5:00

土・日:19:30-0:00

 

展示会場art & bar [entkukui]は、バーです。
ご来場頂いた方にも、お飲み物のご注文をお願いしております。

 

定休日

祝日(臨時休業あり)

tel:090-2522-0991

 

 

 

 

今日までか、昨日までかの15日間だかは、

まるで1ヶ月ぐらいが過ぎてしまったかのような長い長い15日だった。

 

 

 

そう感じるのに、その15日間をよく覚えていない。

覚えていないというよりは、記憶のどれが夢で、どれが現実で、何がうそで、何が本物なのか、

わからなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

月曜から、15日ぶりに絵を描く。

絵を描いている時間は、アトリエが宇宙に浮くたった1つの部屋のように感じる。

それでいて、床につく身体からは、地球の大地を感じる。

立っている時も、座っている時も、

疲れてバタンと仰向けになったときも

床につくすべての身体からそれを感じる。

 

 

 

 

 

mistの作品を制作した時は、

大抵8時には起きて、朝ご飯を食べた後、そのまま台所でコーヒーを飲みながら、

2時間、ノートや携帯やらとぼーっとする。

 

そこで、よし!と感じたら、部屋にこもる。

眠くなった時は絵の下で寝る。

今日はここまで、

と感じるのが、夕方5時から7時半。

夜は気分が乗らなきゃ、お酒を飲んで寝る。

 

音楽は、Jazzin' park のJoyやcopyright feat. song willamsomのHe is。

Kyteのsunlignt。

それに飽きたら、J-popやフジ子・ヘミングのピアノなんかもいい。

 

孤独や寂しさを感じると絵が深みを増す。

 

 

 

 

 

描く日々は、描く時間は、  

私の役割がある。

幻覚や夢みたいな中のリアルの下にいる。

幻覚の下で、どっしり地に足がついていることを感じる。

 

 

 

 

 

 

月曜日からは、絶望する瞬間が待っている。

涙が出そうなほど嬉しい瞬間もまたあるだろうか。

まだ私の知らない私がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Wellcome!

2012.7.8

越ちひろ初のアートブック「Birthday」発売

2000円税込

 

お買い求めはオフィシャルウェブストアにて。


 


 

 

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私は魚になって一緒に海を泳いだ。
私は魚になって一緒に海を泳いだ。